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倫理の進化

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若樹

若樹

Headline News

2012.08.31
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カテゴリ:思想
玉手。男性。現在44歳。

この男の、北海道弟子屈町、標茶町に置ける犬猫保護活動の言動の概要

2006年5月。

幼い頃から犬猫の保護活動を行っていた、私、北原めぐみが、自身の活動の最終地点として受け入れた、「最後の住処を追われ、犬猫が保健所へ送られる事が決定した時」に対して、自分も運命を共にする事を、自ら望み、実行した際に、全ての事情を知った上で、それを止めに来た。

その後、「俺が協力するから」と、北原徹也と二人で、やるだけやり尽くした私に、活動の再開を説得する。


標茶の林道を四キロ行った新しい、犬達の移住先を決める時、北原徹也と共に同行し、視察。
「ここに犬達を移す以上、最後までやるなら責任持たないと、全滅する。」と言う私の確認に対して、

「俺は絶対最後までやるよ。」と、断言。

結果として、養父との話し合いの末、二人で行うなら何とかなるのではないか、と言う事で、その土地を買う事が決定。


その後、本人自身、2007年の7月頃、テレビ等に出て、自らの仕事も「別に悪い事をしている訳ではないから」と、公にしていたので、今更ここで隠す必要はないと思うので記載するが、仕事は弟子屈町役場の非常勤だった。

なので、平日は仕事があるので、手伝うのは、主に休日の土日のみ。
その間、私の古い記事の中で、「試される大地シリーズ」があるが、その初めの方に書いてある通り、平日は、雪山も、私一人で毎日通っていた。

玉手は、2006年から、約1年間、「土日」中心のボランティアを行っていた。


テレビ等の取材を受けた事を切っ掛けに、役場で一騒動になり、我々二人の関係が、友人以外の何もないのを勘違いしている町長から、「女を取るか、仕事を取るか」の、二者択一の判断を迫られた。
私と男女関係は一切ないと宣言した上で、「保護活動は自分で始めた事だから、仕事を辞めても、最後までやる。」と、言って、自身の母親や、私の反対も振り切って、自ら「願い出退職」(本人の借金問題等も、手伝って役場からの{逃げ場が欲しかっただけ}と、後に本人が語った)を、7月の丁度末頃して、無職になった。


多少の退職金を手にした後、少なくとも本人が、仕事を探してる姿は見た事がない。
この男が、仕事をするのは、私の関係で仕事を紹介されたからで、約8ヶ月遊んでいた。

翌、2008年の4月まで、退職金が最後底をついて、私に時たま金を貸してと言いながら(それは、この男と私の関係が、ご覧の通り泥沼になるまで破綻する、去年の暮れまで続いていた。4月から新しい仕事についても、毎月の様に、給料日一週間前くらいになると、金がなくなり、私に金の無心をしていた)

役場を辞めてから、仕事がないので、毎日私と犬猫の世話をし、山へ行く様になった。
この頃になって、衝撃的な一言を、玉手に言われた事がある。

「今はさ、全然思ってないから言うけどさ。俺、最初手伝い出した理由って、お前の言う理想とか大っ嫌いで、そんなバカな事、叶うか、って思ってたんだ。で、お前が理想を追って潰れる所、一番近くで見ていたかったから、手伝ってたんだよね。」


余りの衝撃的な告白に、暫く言葉を失った。
当の本人は、慌てて、「いや、今は思ってないから言えるんだけどさ。」と、弁明していた。

最初の内は、立派な事を言っていたものの、私が玉手と共に、「週間女性自身」の取材を、三ヵ月後の2007年の、10月、12月に受けて以降、1月から、本人は態度を一変させた。

と言うよりも、本性が出て来たと言うべきか。

「もう面倒臭い。ボランティアなんてやりたくない。」
「俺はもう辞めたい。こんなの人間のする事じゃない。」
「飽きた。もう嫌だ。」

これを、毎日私の隣で言い続ける様になった。

しかし、標茶の山は、最初に言った通り、一人では通い切れないのだ。
余りに冬場は過酷過ぎるし、夏でも大雨が降れば、砂利の入っていない林道は、たちまちぬかるみ、車は泥にはまって身動き取れなくなる。

しかも、私は玉手と違って、毎日午後1時から、午後11時まで、仕事が週に6日ある。

こんな半年足らずの間、やってみただけで、今、投げ出されたら、犬はどうなってしまうのだ。

毎日、毎日、

「もう面倒だー!やりたくない!」
「今更そんな事言ったって仕方ないでしょ、自分から言い出したんだから!責任持って、最後間までやりなさい!」
「嫌だ、もう飽きた。」

の、犬猫の耳に聞かせれば、地獄の言い合いが続いていた。

とうとう最後には、
「役場辞めなきゃ良かった。辞めた事を後悔してるよ。」

と、まで言い出した。

怒りが沸騰し、何返事したか、覚えていない。

最後には、自分は猫は好きだが、犬はそんなに好きじゃない。
特別可愛いとも思わない。
猫も好きだけど、俺は世話はしても、面倒は見たくない。
死んだらそれでしょうがない。

こう本音を吐き出して、とうとうこのやり取りに疲れた私は、もう、自分一人で死んでもやるから、明日から来なくていい!と、切れた。

2008年、2月初めの事だ。

玉手は、本当に来なくなった。
それから、凡そ二週間、仕事をしながら、たった一人でびっちり山へ通い、ストレスと過労で、私は胆嚢に砂が溜まって、それが破れて二週間程、静養する事になった。

そうなると、世間にも顔を出ししまった以上、玉手がやらなくてはならなくなる。
不精不精、私が寝込んでる間、犬猫の世話をした。

私が回復してからは、やっぱり一切手伝いに来なくなった。
4月に、「女性自身」を見た読者の人が、私に何か手伝いたいと、本州から、北海道まで来た事がある。
色々持って来てくれたので、玉手の手を借りねばならず、呼ぶと、人前では思い切り自分をよく見せたいこの男は、さも甲斐甲斐しく手伝っているかの様に振る舞い、私は反吐をぶちまけたい思いだった。


そのままこの男は、私がとうとう2009年の2月に、次の病気、「深頸部感染症」で倒れて手術を受けるまで、ただの一日も、手伝いには来なかった。


私はと言えば、借家に犬猫は置けないので、知人から借金をして、中古の一軒家を買って、お店もそこに移した。抵当権の設定も、自分で全部行った。
やっと支払い終わったので、来週の月曜日に釧路の法務局へ行って、抵当権解除の設定を行う



家は、完全な二世帯住宅で、二階と一階は、内階段はあるものの、完全に別で、電気、ガスも別になる。
台所も、トイレも二階にあるし、勿論玄関も別。

私が、既に手伝いを放棄したこの男に、二階を間貸ししていた理由はたった一つ。
毎月相当な金額(犬猫抱えた私にしてみれば)のローンを払わなければならない為、二階を間貸しして、家賃をローン返済に回して、少しでも自分の負担を軽くする為だ。

玉手は、当時借家で猫を飼っていたが、近所とそれでもめていて、その借家を出たがっていたし、家賃も、私が提示した金額は、そこより1万数千円低い、たった2万円だったので、5月には、自分も早々と引っ越して来た。

そして、一階に住む、私が仕事時間を繰り下げ働きづめ、毎日、定休日も返上して、山へ行っているのを二階から見ながら、ただの一回も、「大変か?少し手伝おうか。」と、言って来なかった。

そして、私は過労で病気になり、倒れた。

それから、退院後も、私の体調は全く戻らなかった。
と、言うよりむしろ、入院してから長年の張り詰めていた最後の糸が切れてしまい、それまでの過労が一挙に出てきて、体調は常に最悪、精神は、パニック障害を起こすと言う状態だった。

玉手が、殆どの犬猫の世話を、自分でしなくてはならなくなったのは、その時からだ。
そして、それから地獄が始まった。

世話の手抜き。
トイレの掃除の汚さ。
健康、栄養状態を見てやらないので、給餌も満足にしていない。
そして、犬猫をどんどん繁殖させた。
何を言っても、「俺はそこまでやる気はないから。餌はやりに山も行くけど、それ以上の面倒を見る気はない。」
の、返事だった。

私は、2009年の2月に倒れてから、仕事を本格的に再開するまで7ヶ月かかり、同年9月に、お店を完全に再営業始めた。

所、最初は客足が遠のいてしまっていたが、かなりのお客様が戻って来てくれ、私はとにかく、働いて、お金を稼ぐのが精一杯の毎日になった。

玉手は、前述した通り、毎月給料日一週間前には、仕事へ通うガソリン代も事欠く有様で、(食事は、母親の家で、いつも食べさせてもらっていた。米粒一つ自分では買わず)活動に関して、犬のフード、猫のフード、一つ買った事がない。
お金は、家賃以外一切出さなかった。

それ所か、私がお金を渡してフード等買いに行ってもらうと、必ずと言っていい程、金をギる。
1万円渡せば、千円か二千円、酷い時は、三千円近くかすめ、後でこっそり、使った分を全額ではないが、戻してフードを買って、私の目をごまかす。
と、言う事を日常的にしていたので、私は、毎回、買い物の度に、レシートを要求する様になった。

それでも、暫く経って、私が貰ったレシートの確認を、一々行わなくなった頃、それに気がつき、去年の10月まで、そういう事をやっていた。

冬場、灯油を忙しい私の代わりに買って来てもらえば、自分のストーブに入れる分を、ちゃっかり抜いてから灯油タンクを寄越した。

全く信用出来ない人間。

そして、年中生まれては死ぬ子犬や子猫。
山へ行ってみると、手遅れの状態で死に掛けている犬がいる。
連れ帰って、私が必死に世話をして、助かった子よりは、この腕の中で死んで行った子の方が、遥かに多い。

玉手に何を言っても、暖簾に腕押し、ぬかに釘だった。

「繁殖させるな」と、発情期には女の子を分けられる「隔離フェンス」があるのだから。それを使えと言っても、
「面倒臭いから、俺はそこまでやりたくない。」
結果、どれだけ犬猫の食費が増えても、病気になって、病院代が発生しても、本人は知らん顔だ。


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本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。
コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。

また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。
今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー

囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。

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Last updated  2024.05.06 09:47:00



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