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倫理の進化

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若樹

若樹

Headline News

2012.08.31
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カテゴリ:思想
私の養父。

北海道弟子屈、標茶の犬猫保護活動に関わる、当人の言動の概略(2006年5月以降)

2006年五月下旬来道。
地主ご夫妻、役場、警察、(恐らく保健所も同席)の話し合いの中で、

「自分が今後責任を持って協力するので、犬猫の殺処分は待って欲しい」と、宣言。

「一ヶ月以内」と言う困難な条件を地主さん夫妻が出したが、7月上旬に、標茶の山の地主と、土地売買の話し合いが付き、土地の登記は、7月14日に完了している。

そこから、少しして、私の所属する治療院が、テナントして入ってるホテルから、住民の通報によって、理由も述べられず、事情説明さえ受け付けられず、即日放り出された。

収入が無くなった私が、もう諦めよう、と、養父に訴えるも、「ここまで頑張ったんだから、お前と犬達の生活費は何とかするから頑張りなさい。」と、激励。


8月過ぎてから、その約束された生活費の仕送りが、どんどん遅れて口座に振り込まれて来なくなって来る。


9月に入る頃には、もう、連絡さえまともにつかず、仕送りも殆どなくなった。
間もなく、仕送りは完全に途絶える。

9月15日。
治療院の先生が、弟子屈町に今の店をオープン。
給料は歩合制だが、取り合えず仕事が再開したので、私はこの治療院から、前借りをしながら、犬猫を食べさせて行く事になり、最後はそれでも足らず、サラ金から生活費を借りて、犬猫を支える末路となった。

それ以降、玉手や、役場等が、養父に再三、自分が再起動させた保護活動に対して、協力を果たす様に連絡するが、
「自分はもう関係ない。」と、一切無視を通す。

2012年5月上旬。
玉手の、養父と同じく責任放棄の活動の結果、多くの犬猫の命がここ3年で失われて、最早死ぬ覚悟の上で、残り全員を世話する事に決めた私が、

玉手の望み通り、活動から離脱させるとともに、その後の話し合いを、玉手、養父、私の三人(玉手の母親も加わって貰うはずだったが。息子を匿って家の電話番号まで変えて、息子を逃げさせようとしているので)で、何としても持つ必要があって、私が数年ぶりに、北原徹也の携帯に電話して、留守電に伝言を残し、この男から後日電話が何食わぬ様子でかかって来た。

これまでの6年の地獄を克明に二時間以上かけて説明し、今後犬猫達をどうして面倒を見るかも、2006年の二度目の活動の発起人として、責任を問いたいので、5月中に、北海道へ養父自身が、自ら来る事を、こちらは要求。

それに対して、

「必ず行く。」

との約束を最後に、音信普通。

電話に留守電を残しても返事は一切なく、今もこの犬猫保護の責任から逃げ続けている。

上記の詳細は、以下に詳しく説明させて頂いているので、時間のある方、ご拝読下さいませ。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




北原徹也は、私の養父になる。
1999年の年末に、私が北海道へ移住して少し後の事だがー、母と、再婚した。

私は、自分の昔の苗字が大嫌いだった。
そもそも、宿敵である、父親と、結局何年かの愛人状態の末、母が離婚した為に、「妻」の座を勝ち取った女が、戸籍で私の両親になっている。

余談だが、この二人が結婚した際、長女である私に、一切の報告もなかったので、
母が再婚する際に、私も一切連絡せず、勝手に戸籍を抜いて、北原姓になった。

北海道へ来て数ヶ月は、元の苗字のままだったので、途中から私の姓が変わり、一緒に働いていた同僚達は、二ヶ月くらい、慣れなかった様に思う。

しばらく、二つの苗字で呼ばれていたので、弟子屈の噂で、私は何かから逃げているとか、オウム真理教だとか、色々言われていたのだが、普通に考えたら、結婚して、離婚しての、旧姓とかの変化かな、と、想像してくれないのが凄いと思った。

北原徹也は、当時60歳くらいだったと思う。
私は、一度も会った事はなかった。
どっかの会社の所長さんで、結婚歴がなく、子供もいないと言う事だった。

電話で数回話したくらいだろうか。
二人が結婚したら、養女にして欲しいと言う私の希望を、歓迎して受け入れてくれた。

それから、実際に会ったのは、実に四回。
だが、家庭に恵まれなかった私は、父親と言う存在を、非常に必要としていたし、父ー北原も、「娘」と言う存在が出来て、余程嬉しかったようだ。
子を持つ苦労をしらない内は。

会う度に、何だかんだと、食事に行って、可愛がって貰ったものだし、私はこの、殆ど初対面に近い人を、本当の父親の様に感じていた。


蜜月は、あの、2006年の8月頃までだ。

その最中、母と弟と、故あって絶縁した。
北海道の厳寒の時期、鬱病になってろくに動けなくなってしまった私が、せめて今年の冬だけ、乗り越えるまで、春まで交代でこっちに来て助けてくれないかと相談した。

初めは、二つ返事で二週間くらいずつ交互に乗り込んで来た彼らは、しかし、二度目は来なかった。

一番寒い時期だった。
こちらは命を亡くす寸前だった。

「こっちにも生活があるから。これ以上協力するのは無理。自分の意思で北海道へ行ったんだから、死なれても仕方ない。」

と、言い放たれた。

最もだが、それを言われた以上、今後家族としてこの二人を見る事は私には出来ないので、その場で絶縁を宣言した。

こういう事があっても、北原徹也とは、時たま連絡を取り合う仲だった。


それが、あの事件以来全部代わってしまった。
玉手同様、本性を現したと言う所か。

結局、40代を過ぎても家庭と言うものを持った事がない男と言うのは、全部が全部では勿論ないが、多くは、非常に無責任な人間になると感じる。

私の身内にしてもそうだし、昔の男友達にしてもそうだった。

やはり、男たるもの家庭を持って、家族を食べさせ、仕事に邁進し、家庭と仕事の板ばさみの苦労を少しは味わっておかないと、女よりもだらしなくなりがちだ。

貯金して、自分の老後まで考えてるのは非常にいい方で、大抵のパターンは、殆ど貯金も持たず、その日暮らし的な怠惰な毎日を送ってる。

北原徹也は、前者に当てはまった。
しかし、やはり、家族を食べさせる、子供を学校を入れる、家庭で何かあったら一家の大黒柱として、断固たる態度で問題の解決を図る。

そういう苦労していないので、ちょっとの事で投げ出すのだ。

2006年5月、20日過ぎに、北原徹也が一人で北海道へやって来た。
私の、自殺未遂の連絡を受けてだ。

今後の事を話し合いに。

役場と、警察と、地主さんと。
他にも保健所とか、いたかも知れないが、私はその時血圧が過去最高に上がっていて(後日病院で知った)、頭はガンガン、眩暈はするわ、とても座っていられる状態でなくて、一人体を殆ど横たえて、父と並んでの話し合い参加になった。


その席で、北原徹也が、「犬達の、新しい引越し先を見つけるので、処分は待って欲しい。」と、地主さんや、役場に申し出た。
自分が、その事に関しては責任を持つと言って。

私は、反対だった。
と、言うよりも、無理だった。
前述してある通り、あれが私の限界だったのだ。
私は、保護活動を、他人と共同でやるのを好まない。
いつ、離脱するかも知れず、そうなった場合、残された人間は、犬や猫の面倒を、当然一人では見れなくなる。

あくまで、自分が力尽きる範囲まで。
他人には、基本的に頼らない。
他人の援助を当てにしない。
当てにしていると、援助がなくなった時に、どうにもならなくなる。

そういう理由で、自分がもう出来ないと悟った後で、父が、資金を提供するから、もう一度頑張れ、と言うのに私は無理だと暫く頑張った。

結局、説得されて不安だらけのまま、新しい土地を買う事になったのだが。

取り合えず、土地は確保した。
そして、丁度その頃、私は一時的に職を失った。

先生が、テナント先から追い出された私の為に、リラクゼーションのお店を町に出してくれる事になったが、それには二ヶ月程の準備期間が必要で、その間、私は全く無収入になる。

犬達、猫達の食費はバカにならない。
もう、どうあがいても限界だ、と、北原徹也に電話して、状況を説明した。

返って来た返事はこうだった。

「ここまでやったんだから、諦めないで、最後までやろう。生活費は大丈夫。お父さんが、ちゃんと仕送りをするから。」

7月の事だった。

そして、8月中旬には、もう、北原徹也は私の電話には、滅多に出なくなった。
留守電ばかりで、何回もかけて、かけて、ようやく繋がる。

お父さん、お金がありません。
犬達の食費もない。
どうか、0曜日までに必ず振り込んで下さい。

そう頼むと、
分かった、と、答える。
0曜日までに必ず入れるから。

その約束が、守られた事はなかった。

余りの無責任さに、吐き気がした。
飢え死にさせるくらいなら、助けて貰わない方が、100倍は有り難かった。

私からの電話に、そのうち全く出なくなったので、玉手が北原徹也に電話をする様になった。

それも、留守電で、何回か伝言を入れると、数日してからやっと電話が玉手にかかってくる。

今、お金が全くないので、振り込んで下さいと、玉手が言う。
大体、一週間後くらいに、頼んだ金額より少ない額が送金されてくる。

昔ブログで書いた様に、あいつの誕生日の9月10日には、もう全く連絡は取れず、送金も一切なくなり、そのまま音信不通になって、私は仕方なく、生活費を、先生から、前借りする事になった。

お店を開店させても、最低、2年は暇だぞと、先生の言う通り、常連さんがつくまでは、本当に仕事がなかった。

給料は、完全歩合制で、毎月私は、先生からお給料の前借りをしていたが、それでも犬達。猫達の食費はまかなえ切れず、とうとう、サラ金から、生活費を借りて、工面する羽目となった。

こんな卑怯に、いい加減な事をして、放り出すくらいなら、最初から助けなければいいのに、この責任を、どうしてくれるつもりだ。

そう、北原徹也に対して、思わぬ日は一日としてなかった。


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本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。
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また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。
今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー

囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。

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Last updated  2024.05.06 09:42:35



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