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倫理の進化

倫理の進化

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若樹

若樹

Headline News

2012.08.31
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カテゴリ:思想
三年前の2月、私が、玉手がボランティアを「面倒臭い」と言って辞めたがり、結局一年程、一人で全員の世話と仕事をした結果、虫歯菌から深頸部感染症になって死に掛けた時、私の「両親」は、いずことも知れない場所に引越しをしていて、家の電話番号も変わっていた。

勿論?
そう言っていいのか、私は引越しをした事も、電話番号が変わった事も知らなかった。


何かで、玉手が私の実家に電話して、初めて分かった事だった。

私の入院と手術は、玉手から、私の兄貴、それから養父と実母に伝わったらしい。
入院二日か、三日後(手術したの、何日だっけ?2月10日に入院したのは確か。家のローンの支払日で、それが気になっていたので)、手術が終わって、何とかICU行きを免れて、私が病室へ戻ったと、ほぼ同時に、看護士さんが病室へ来て、手に電話の子機を持って、私に言った。


「北原さん、お父さんから電話よ。」


一瞬、怒りで怒鳴りそうになった。
死んでからなら喜んで電話もする奴らだろう。
仮にそこまで腐ってないとしても、私にはそう偏見を持ちたい程の、怒りと過去がある。

私は憮然として言った。

「手術終わったばかりで、疲れているので電話切って下さい。」

すると看護士さんが、

「じゃあ、体が落ち着いたらこちらから連絡するって言っておくわね。」

「いえ、親の電話番号知らないんで、無理です。私の知らない時に、引越しして、電話番号も変えてるんですが、教えて貰ってないんで。電話出来ません。そのまま切って結構ですよ。」

看護士さんは、慌てた表情になって、じゃ、じゃあ、連絡先聞いておくわね。

と言った。

いや、そのままで切っていいです、と答えたが、看護士さんは、電話番号を聞いて、メモして私にその紙をくれた。

私は、それをゴミ箱に捨てた。

私の状態を案じるなら、玉手に電話をすればいい。
全部状況は聞けるから。

しかし、そういうつもりはなかった様だ。

翌朝、母親から電話があった。
切ってくれる様に、看護士さんに断った。

そのまま、玉手に電話もなく、病院へ来る事もなかった。

私の入院費だけは、支払うつもりがあると兄から聞いて、当然の事なので、払わせる事にした。
出来れば、手術を受けるまでの苦労や痛みを全部、金でいいから(愛情のない親など、金に代える以外、私に取っては使い道がない。私はお金は余り好きではなく、多く欲しい人間でもないが、親に比べればまだ価値がある)支払って欲しかった。


私は、頸に溜まった膿を出す為に、頸の前部を切開されてぱっくり開いたまま、二週間程か、味も分からない、流動食を食べて生きてた。
手術前の注意で、私が手術を受ける部分は神経が集まっているので、術後、或いはどこかの神経が切れて、障害が出るかも知れない、そう言われたので、神経障害かと思ったが、食べ者も、流動食にまでなると、肉と魚の区別もつかなく、甘いかしょっぱいかくらいしか分からないから、手術の失敗ではないから大丈夫、看護士さんの言葉に安心した。

で、こういう食事しか取れない、認知症や、病気の人は、何て悲しい食事を取っているのかと、思ったら悲しくなった。



それから二年前(かな?)。

エイプリル・フールに、この地域一帯を、猛吹雪が襲った。
私と玉手は、これからどんな悪天候になるかを、知らずに雪が降り始める中、山へ向かった。
4月の暖かい雪は、重くて橇も進まない。

普段の倍程の時間をかけながら、子供達にご飯をあげて、木立を抜けて、車に戻ると、そこは別世界になっていた。

来た時には、くるぶしくらいだった雪が、もう、腰近くまで積もっている。
車を止めておいた、牧草地は、私達の山へ続く、木立が自然の防風林となっている場所とは全く違って、危険なまでの猛吹雪をモロに浴びていた。

車は、道路から1キロ程入った林道に止めていた。
凄まじい吹雪。
車は、半分以上雪に埋まっている。

玉手は、その状況で、車で突破しようと愚かな行為に出た。

今、車を雪から掘った所で、即この吹雪で埋まるだけだ、しかもこの先には、吹き溜まる場所がある、あそこの距離は長く、到底スコップで掘って、抜け出す事は出来ない。

玉手がパニクって、状況判断能力を失った。
この男の、こういう所は、過去何回も見ている。
どうにもならなくなると、相手が自然だろうが何だろうが、自分の我を通さないと気が済まなくなる。
目は釣り上がり、半狂乱の状態になるのだ。
何と説得しても、キチガイじみた抵抗と反論しか、返って来ない。
全く、人生で場数を踏んでないヤワな奴は、すぐこの手の事で正気を失う。

私は玉手を放って、一人で、林道を雪を漕いで脱出し、三キロ程先の、知人宅へ避難して、そこで結局一晩泊めて頂いた。
着いた時には、防寒着は完全に凍り付き、フードは、さながらヘルメット。袖に関しては、手を出す事も出来ない程、ガチガチになっていた。凍って全くしならない、鋼鉄製の様な服を、脱ぐのは感覚を殆ど失った手では、相当難しい事だった。

道路は、完全に「吹雪の為通行止め」になっていた。
私は、その時予約のお客様がいて、何とか店に戻らなくてはと、摩周ハイヤー(こっちでは、タクシーの事をハイヤーと呼びます)に電話したが、国道さえ通行止めになりそうだから、とても行けない、と、断られた。
弟子屈の、小さな町の中でさえ、もう車があちこち立ち往生していて、会社自体も、今日は午後6時で営業を辞めると言う。

私は、この時点で、帰宅を諦めた(後で知ったが、お客様も家を出れる状況じゃなかった。普通なら、歩いて三分の距離なんだが、家宅にて避難状態)。
テレビでは、あちこちで吹雪の為に通行止めが成され、それは10年近く前の、記録的な猛吹雪が三日続いた時の事を思い起こさせた。

もう一人、男が車を動かすと言って、呼んでも来ないんです、と、恥ずかしく思いながら、助けて頂いた家のご主人に言うと、そこの家のご主人が怒って、
「こんな吹雪の中、女の子を車に置いて、自分が助けを求めに来るならいざ知らず、女の子一人、放置するなど、男のすん事じゃねえ!そんな奴、助けに行かなくていい!ほっとけ!!」

と、流石同じ男として、妥当な判断を下した。

そして、みんなから見放された玉手はどうしたかと言うと、翌日の本人の語る所では、その後何時間も、吹雪の中、車を出そうと(1キロ、車を通す為に、吹雪いてる猛吹雪を掘りながら進むのか?)格闘したらしい。

日が落ちて来て、初めてやばいと思ったんだそうな。

その頃、ちょっと離れた道路では、通行止めが間に合わず、吹雪の中、10時間近く車が立ち往生していて、憐れ元NHK釧路にいた、私のお友達のKちゃんは、その取材に行って、死ぬ思いをしていたと言う。
私は知人宅で、彼女のリポートを観ていた訳だ。ゴメン。

で、玉手は、何と向かい風の中、道路に出てから弟子屈の町まで凡そ16キロある道を、歩いて帰ったそうな。

途中、何度も向かい風に煽られ、転倒し、頭を売って、町近くでようやく、パトロールカーに救われた時には、一時的な記憶喪失になっていて、自分の名前も家も分からず、ただ、食べる事に異様な執着を持つあの男は、「セブンイレブンで弁当を買う」と言う脳からの指令以外、何を聞かれても分からなかったそうな。

セブンイレブンでパトロールカーから降ろして貰い、買い物をしてる内に、記憶が戻り始め、家に帰って、そのまままた、記憶が翌朝まで絶えたらしい。

朝起きて、今度はしゃんとした頭で、冷蔵庫を開けたら、お弁当が幾つもあって、驚いたそうだ。
空腹と半無意識の中で、欲しいだけ弁当を買ったらしい。

私の事を思い出したのは、それから少し経ってからの事だったと(読んで、「最低」って思った人へ。この位で最低と思わないで、あいつの最低さは、こんなもんじゃないから。うん)。

そこで玉手が、慌てて北原徹也の携帯に電話をしたらしい。
昨日、猛吹雪の中、娘さんと離れたが、生死が分からない、どこにいるかも分からない。
最悪の事も覚悟しておいてくれと。

玉手は、私の知人が山から少し行った所にあるのを思い出し、慌てて、私の車のスペアキーを使って、通行止めが開いたばかりの道を走って、私の車に乗って、私が泊めて頂いた家へ来た。

私は摩周ハイヤーに電話をして、通行止め解除になったので、電話して頼んだ迎えを、知人が来たので、大丈夫だと、申し訳ないが、キャンセルの旨を伝えた。

養父に、私が無事かどうか分からないと電話したんだ、と言うから、向こうが心配して、電話をかけて来るまで放っておけ、と言ったら、そのまま電話は一切来なかった。
その分、私は強くなった。
私の強さは、いつもこうやって培われて行く。


養父と、最後に電話で話したのは、今年の5月上旬だ。


もう、玉手の犬猫見殺し、繁殖自由、世話の放棄、「廃屋」になった、私が貸していた二階部分の部屋の崩壊ぶり。
それらの事で、限界を迎えていた私は、自ら養父に連絡を取った。
相変わらずの留守電で、それは、私の実父も同様なので、中身は似ていたんだと、一人の女の男の嗜好が、そんなに変わるはずないではないかと、今更ながらに考えて、馬鹿馬鹿しく思いながら留守電に伝言を残すと、後日、養父から、何語もなかった様な口調で電話が来た。


私は、怒りを沸騰させながら、あんたが「助けてやるから頑張れ」と、もう無理だと言った私を、無理やり元の軌道に乗せて、それから6年、どんな日々を生きて来たか、全部ぶちまけた。

どんな食事で生きてるのかも。

その上で、自分の放棄した結果を見に来い、と、私は言った。
養父は、終始大人しく、電話の向こうで真摯な空気で話を聞いていて、「分かった。」と言った。

定年は迎えたが、バイトの様な事をしているから、仕事の都合をつけて、必ず5月中に来ると約束した。
日程が決まったら、連絡すると言って、電話を切った。

5月31日には、一向に履行されない約束で、精神が極限状態になった私が、夜中、養父也と、兄の留守電に電話して、怒り狂った伝言を残したそうだ。

兄貴まで、記憶が飛んでるが電話したのは、前に書いた、(書いてなかったらごめんなさい、)バカみたいな事で、音信不通になっていた為だろう。
どうも、ついでに怒りが爆発したらしい。

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本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。
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また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。
今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー

囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。

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Last updated  2024.05.06 09:40:49



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