インターネットが生む問題
まず、道東人さんの問いからですが、私に求められた意見の中で、答えるべきと、感じるものには、今後ブログでお答えします。しかし、残念ながら、既に何度も答えている事を、私は繰り返し別の方に質問をされます。出来たら、一度通して読んで頂いた上でなら、こうした二重、三重の返答も減らせて頂く事が出来、私はとても助かります。それから、今日、決心した事があります。ブログの閉鎖についてですが、当面はこのまま継続します。こんなものを、惜しんで下さる皆さんのお陰です。本当に有り難うございます。そして、今後、管理人として私はこのブログで、書き込みに対して、一つルールを作る事にします。「匿名」、「HN]、「ログイン」状態であれ、何であれ、コメント欄、掲示板、第三者が入り乱れての議論、討論は、一切お断り致します。一年以上、ネットと言うものに関わって、本日下した私の答えが、「匿名」の世界とは、議論や討論に適さない、と言う事です。個人情報が、(基本的に)全て隠されるこの「世界」では、討論相手に、自分の素性が知れる恐れがない為、人目を気にせず、平気で憶測や誹謗、中傷が入り乱れます。こんなものは、議論等とは言えません。例えば、道東人さん、最初の書き込みで、私に対して、「テロリスト」や、「思い知るがいい」と言った発言をなさいました。こんな発言を、一般的な、ネット上でない議論の場で、誰かがしようものなら、その人は、発言権を奪われます。それでも常識を欠くなら、議論をしている、部屋の外に出されます。どんな発言をしても、相手に素性が分からない、ネットであるが故の、非常識な発言です。ネットと言うものの、有益な面は確かにあります。こうして、自分の意見を発信して、多くの方に、見て頂く事も出来る。様々な情報を、瞬時に集める事も出来る。他方、深刻な問題として、匿名故に、相手に対する配慮を、最大限に放棄出来る、と言うものがあります。議論、討論、と言うものは、何よりも、相手に対しての配慮や、自身の言動を、周囲の目を意識する事によって、不適切にならないように、意識して注意せねば、本来の意図と正反対に、単なる争いの場になるのです。自分と意見や価値観の異なる相手と、議論を交わすには、非常に忍耐力が必要になります。感情をなるべく抑え、内心は憤慨しつつも、相手の意見を聞く、忍耐が必要です。その忍耐は、皆が顔を揃えあって、互いに周囲に対する、礼儀を意識し合って、初めて生まれるものです。残念な事に、ネットではそうした自制心を、匿名故に多くの方が、持つ事が出来ないでいます。自制心を持った方の書き込みも、勿論沢山あるのですが、これも残念な事に、自制心と、常識のない方の横槍に刺され、結局、何のために自制して頂いているのか、分からない状態になります。こうした現実から、ネットは議論、討論の場には不適切と見なして、少なくとも、私のブログでは、これを認めない方針にします。コメント欄で、私以外の第三者の方へのレスも、議論を持ちかける内容のものでしたら、削除させて頂きます。私への意見も、同じく会議場で、発して問題ない、適切な言葉が用いられているものでなければ、削除させて頂きます。一例をあげれば、最近のコメントで、私に対してある方から、「人を見下している」と言う、発言がありました。こうした感情的な発言は、コメント欄の緊張を誘発してしまいます。今後はこうした発言が含まれているコメントは、削除させて頂きます。同じ印象を表現されるのなら、「傲慢」や、「尊大」など、客観的な表現を使用されて下さい。また、その方と私が、何度かコメント欄で、互いの発言に、意見を交換し合いましたが、その中で痛感した事は、一般論として、ある人物の意見に対して、自分が強く拒絶を感じてしまう部分があると、反対意見を出して議論する事に集中してしまい、相手の意見や文章を、きちんと聞いたり、読む事が難しくなる、と言う事です。私が、全国民のうち、数百人でも、良心的納税拒否をすれば、と、書いているのが、「全国民が、納税拒否をするべき」と、読み取られてしまう様に。また、その人々が、納税拒否をする目的を、「殺処分撤廃」の為、と、明確にしているにも関わらず、そこはご理解なさらず、数百人に於ける、納税拒否が齎す、社会的問題ばかりを取り上げてしまわれます。それでもこの方に私が何度かお答え申したのは、言葉の端々に、真摯な「何か」を感じていたからです。正直に申して、道東人さんの問いには、答える必要を感じませんでした。反対をするのは簡単な事、と仰っていますが、ちっとも簡単な事ではありません。反対をすれば、ネットで見知らぬ他人から、「テロリスト」呼ばわりまで、受けるものなのです。また、殺処分には疑問を持たれ、納得の行く計画なら協力する、と仰るのも、余りに疑問を感じてしまいます。でしたらご自分は、反対を表明し、批判の矢面に立つ事もなさらず、共生に向けて、共に考え、実践しながら道程をつけて行く事もなさらず、ただ、人に物事が解決に明確に向かうまで、押し付けるのと変わりません。ですから、あなた個人にお答えするのではなくて、改めてブログで、共生に必要な人間側の姿勢の変換など、全ての読者の方に向けて、お答えして行きます。私は以前、必ず訪れると信じている、共生の未来に向けて、現時点での一般市民の、異種族に対しての、見解や肉声を、記録しておきたいと思って、どんな非常識な書き込みも、黙認して、掲載続けて来ました。それは、確かに一つの尊い記録にはなるでしょうが、誤った選択でもありました。議論の場には、絶対に適せない環境に於いて、それを受け入れると言うのは、ブログの管理人として、自分の認識の間違いでした。何も、ネットで「匿名」故の、暴言交じりの見解を、記録する必要などなかったのです。生命が、等価のものと見なされていない時代の、人間の意識の実態は、ネットのコメント欄などに、頼るまでもなく、多くの記録が未来に伝わる事でしょう。私が自分の意見をブログで書くように、皆さんにも、それぞれ自分で、ブログを用いて、ご自分の考えを書く事が出来ます。誰かに反対したり、批判したりし合うのではなく、それぞれが、自分の一つの価値観として、ブログを用いて考えを発表し、互いにその考えを読み合い、また、そういう自分と異なる視点を発見した上で、一、個人に対してではなく、一、意見に対して、自分が思った事を、綴っていかれるべきだと思います。以上が、ここ一年以上、ネットと関わり、自分でも失言や、失敗をしたと感じた中で、私の出した答えです。このブログへの書き込みは、会議室や、集会所等の、不特定多数の方がおられる中で、発言として、適切なものであるか、投稿前に、ご自分で一考なさってからにして下さい。ネットは議論の場には向きません。不適切なものは、削除させて頂きます。また、削除に関して、公平さを引き受ける為、私に対して共感的なものであっても、他のコメントの方に対して、不適切な部分があると、判断した場合には、削除させて頂きます。ご理解下さい。また、削除に関して、私が適切内、と判断したものであっても、どなたかが、何かの理由によって、とても不快に感じられる場合は、私まで、申し出て下されば、双方に対して、善処致します。それでは今後とも、遅筆ですが、精一杯頑張りますので、よろしくお願い致します。