till we meet again
ああ、悲しい。 今日は友人山〇君の告別式でした。 奥様からお電話を頂いたのは3月1日。 そのお電話は、彼が逝去したことを告げるもの。告別式を5日午後1時からとり行うので参列いただけるか、というものでありました。 思いもしなかった彼の訃報、わが耳を疑いましたが、それは悪い夢ではなく、悲しい現実。 今年に入って、新型コロナに感染していることが判明し、入院。持病があったことで症状が重症化、ついに帰らぬ人となってしまわれたとのこと。 彼は、ヤカモチと同じ高校の卒業生で、6年後輩になる。 ヤカモチが本社総務部の法務関係の仕事で会社の顧問弁護士事務所に出入りしていた頃、彼は学生アルバイトで同事務所の事務員をしていて、面識を得て親しくなった。卒業を控えて当社を受験するというので、合格したら総務部に迎えたいと思っていたところ、果たしてその通りの成り行きとなり、以来、ヤカモチが退職するまで、ずっと一緒に仕事をして来た仲である。 ある時期からは、広報関係を担当して貰い、総務部を総務部・法務部・秘書部・広報部に分割した際には初代広報部長に就任、大いに手腕を発揮していただいた。 個人的な関係では、彼が結婚するという時に「頼まれ仲人」を務めさせていただいたが、ヤカモチが仲人を務めた最初のカップルが彼ら夫婦であったということで、特によく覚えている。この折のエピソードは以前のブログ記事でも紹介したことがある。 彼と最後に会ったのは一昨年(2019年)の1月13日である。<参考>あらたしき年の始めに 2019.1.14. その年の7月にも友人4人での会食の機会があり、そのうちの一人が彼であったのだが、何やら他用と重なり彼は欠席となったので、会えず仕舞いであったのは、今となっては残念と言うほかない。<参考>旧友との昼食会で難波まで銀輪散歩 2019.7.18. そして昨年はコロナ騒動で、友人との会食は全てアウトで、彼とも会う機会がないままに、今日に至ったという次第。 こんなことになるのなら、もう一度会って話をして置きたかった、という思いが痛切である。かからむと かねてそ知らば いまいちど 君としあひて かたりしものを (偐家持)梅の花 今を盛りと 咲きぬれど 悲しけさびし 君しあらねば (偐家持)(梅田の里山の紅梅<3月3日撮影>)讃美歌の また会ふ日まで 歌ひつつ 哭のみし泣かゆ 遺影の君に (偐家持)(告別式祭壇) 告別式はキリスト教式で行われました。 奥様は岡山のキリスト教会の教会員であるのでしょう。その岡山の教会の牧師さんが司式を務められました。(告別式・式次第)(同上) 密葬は既に済まされていて、彼は既にご遺骨になっている。 従って、出棺前のお別れというのはなく、祭壇に献花するのがお別れの最後の儀式である。 献花は、参列者が讃美歌405番を合唱する中で、順々に。 また会う日まで また会う日まで 神の守り 汝が身を離れざれ (Till we meet,till we meet, God be with you till we meet again.) この歌を歌っているうちに悲しみが一気にこみあげて来て、身体がうちふるえ、涙がとめどなく溢れ、歌も絶句、ただひたすらに悲しいのでありました。 山〇君。病に倒れ、さぞ悔しかったことだろう。 無念だったことだろう。 君とのあれやこれやを思い出しながら、 僕らは、今日、君の死を悲しみ、傷みました。 今は、どうぞ安らかにお眠り下さい。 僕らは君のこと忘れません。 そして、ご家族の皆さまに神のご加護と慰めがありますように。<追記注:2021.3.15.> フォト蔵写真の表示不具合で、ブログ写真とフォト蔵写真とのリンクを貼っていませんでしたが、このほどフォト蔵写真の表示が正常化しましたので、リンクを貼りました。