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今日は月例の墓参。
雨がパラパラしていましたが、大したこともないと傘さして墓参り。 いつもの「門前の言葉」の寺のそれは、先月のものがそのままであったので、撮影せず。 墓地から眺める大阪平野も雨に煙っていました。 大阪市内のビル街や六甲の山々、淡路島なども全て煙霧の中。 (2021年3月2日の墓地からの眺め) 六地蔵も雨に濡れている。 (六地蔵、雨に濡れつつ) 以前から「喜里喜墓」という墓碑の文字が気になっていたこのお墓。 (喜里喜墓) 墓石頭頂部の特徴的なフォルムから江戸時代建立の墓であることは承知していたが、側面を見ると、文政6年(1823年)5月建立の墓であることが分かりました。 (同上) 右隣のひと回り大きい墓は「天保」の年号が刻まれていましたから、この墓よりも少し新しいということになる(文政13年12月10日に天保に改元されている。)。 井上ひさしの長編小説に「吉里吉里人」というのがあるが、この墓を目にするごとにこの小説のタイトルを連想するのが常でありました。 <参考>吉里吉里人・Wikipedia 喜里と吉里で字が異なるし、喜里喜里ではなく喜里喜である。 「キリキリ」ではなく「キリキ」であるのだから、「吉里吉里人」とは勿論何の関係もないのである。 文政6年5月(1823年6月)と言えば、シーボルトがオランダ商館員として来日した時期である。 ついでに調べてみると、勝海舟がこの年(文政6年)に生まれている。 また、文政年間では、大村益次郎が文政7年生まれ、岩倉具視が同8年生まれ、西郷隆盛が同10年、大久保利通が同13年生まれである。 この墓地がいつからあるのか知らないが、少なくとも200年位前には既に墓地としてあったことを、この墓石が証明している。 だんだんに雨が酷くなり、風も強くなりました。 帰宅したころにはズボンがずぶ濡れ。 気象台はこの風を「春一番」と認定したことをTVが報道していましたが、風が強いと、雨傘は殆ど無力、雨から守れるのは上半身のみである。 (センダングサに雨は降りつつ・・) 春一番 吹きて墓参の 道の辺に センダン草は 雨に濡れつつ (偐家持) <参考>墓参関連の過去記事はコチラ。 <追記注:2021.3.15.> 上掲写真は、フォト蔵写真の表示不具合により、これとのリンクを貼っていませんですたが、このほど正常に表示されるようになりましたので、リンクを貼ることとしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.03.15 20:57:03
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