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テーマ:大河ドラマ『天地人』(392)
カテゴリ:テレビ・アニメ・映画
見事なコント時代劇でした。
何だか最近は妙に突き抜けた感じすらありますねぇ。 しかし、これを大河ドラマと呼ぶことは拒否します(´・ω・`) 【本日の流れ】 ・上洛途中、加賀で前田利家と対面。景勝を励ます ・利家から「兜の愛は愛染明王の愛か?」と聞かれるも、兼続は否定 ただし、利家は兼続の否定に気づかず ・京に到着。愛の兜が評判になる ← たぶん評判が悪い ・お涼(千利休の娘)が上杉の世話係となる ・お涼の助言で太刀袋を金にしたら秀吉大喜び 「武士の誇りはどうした?」と、景勝はショックを受ける ・妙に分かり合った気になっている兼続と三成 ・景勝、北の政所から説教される(助言を受ける) ・挨拶回りが嫌すぎて景勝が徐々に弱る ・上杉が京でドタバタしてる間に徳川家康と北条氏政が会見 北条氏政は明らかに小者扱い(役者は素晴らしいのに) 家康から飲めと言われた薬を疑いもせず飲んで、豪快に咽せる氏政 ・福島政則から「愛染明王の愛か?」と聞かれた兼続、話を合わせ認める ・福島政則がお涼に投げ飛ばされて宙を舞う ・お涼が兼続に惚れて愛の告白 ・景勝の異変に全く気がつかないままの兼続 ・景勝、ストレスMAXで倒れる 言いたいことは多々ありますが、1つだけ。 同じ違和感を覚えた人もいるかもしれませんが、兼続が掲げる「愛」の解釈をわざわざ前田利家と福島政則に言わせたのは何故なのでしょうね。 しかも、当の兼続が思っている愛の意味とは違う意味で。 (利家・政則:「愛染明王の愛」、兼続:「仁愛の愛」) 2度に渡って言うくらいですから、そこには何かしらの意図があるはずなのですが。 兼続の思う仁愛の愛を強調するのであれば、言い回しはどうであれ利家・政則の意見を否定するはずですし、結局は愛染明王で通ってしまいましたからね。 天地人での愛の字の解釈については、以前から「仁愛の愛ではなく、愛染明王か愛宕権現の愛にしないとおかしいだろう」という意見を多く目にしていました。 しかし、ここに至って突如として愛染明王の名が出てきたことは、もしかしたら視聴者から多数寄せられたであろう意見とは無関係ではないのかもしれません。 しかも、愛染明王説を唱えた内の一人、福島政則を豪快に宙へ投げ飛ばす演出つきです。 具体的な演出方法については演出家の範疇でしょうが、行為自体については脚本に書いてあるものだと推察されるので、やはり其処には脚本家の意図が込められているのだと考えるのが妥当でしょう。 要は何が言いたいかというと、脚本家から視聴者に対する挑戦状のようなものではないのかなと。 単に兼続に否定させるのではなく、異なる説を押し通そうとする政則(視聴者)を投げ飛ばすことによって、天地人では仁愛の愛で通し抜くのだという脚本家からの強烈な意思表示だったのではないかと感じたわけです。 勿論、私の想像が多分に入っていますから、全くの考え違いという事も十分にあり得ますけどね(笑) 1つだけと言いながら長々と自説を書いてしまいましたが、今回はこんな感じです(^^; それでは、また次回お会いしましょう。 NHK大河ドラマ【天地人】縁の地、新潟の酒『どぶろく』女性でもとても飲みやすく、甘口では物足りないという方には辛口の『けんしん』はいかがですか?【天地人】桐箱入り どぶろく【けんしん】 信長に気に入られ、秀吉には信頼され、家康には恐れられた・・・「前田利家」太刀 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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