らいてうの家
訪れたのは、2ヶ月も前の5月25日。
先ごろ見つかった「青鞜」の原本(50冊)の展示が5月27日までということで、
会期中最後の土曜日、仲間4人で菅平高原へ。
わらび
たまたまその日は「らいてう忌」の翌日で、
東京から米田佐代子館長もみえていて話を伺うことができた。
図書閲覧室に掛かっていた、「若いツバメ」の由来となった年下の画家
奥村博史の絵がとてもよかった。
偶然はもう一つ重なり、
らいてうの生涯を語る企画を持つグループと一緒になった。
思いがけず、美しいステンドグラスのホールで、
急仕立ての語りと音楽のひとときを過ごす。
斎藤隆介「花さき山」
その後、図書館でらいてう関係の本を数冊借り出す。
「平塚らいてう自伝」を読むと、
らいてうの思想と実践の根っこには、
禅における「見性」が息づいているということがわかった。
らいてうが「手かざし」で病を癒したとことを聞いていたが、
それも肯ける。
原本
奥村博史が60代後半に書いた詩からは、
しみじみとした夫婦の関係性がしのばれる。
黒いといってもブリュネットの妻の髪
二人が結婚した頃はシルクのように
やわらかかった妻の髪
同棲五十年近い今は
あらまし輝く白髪となって
一層ぬめのやうなるやわらかさを加へて
何にたとえやうもない手ざわり
わたしは日にいくたび妻のこの髪に手をふれてなでることだろう
妻の髪をなでるたびにおのれの心はなごみ
妻もやさしいまなこをわたしに向ける
妻よ、おたがいになんとしても
せめてもう十年を一層よく生きやうよ
その頃にはほんたうに
世界に平和がもたらされるだらうか
「もう十年」という彼の願いは叶わず、七十三才で亡くなった。
没後五十年になろうとする今、世界の平和は。。