論理の美学とメディアリテラシー
毎日ちょっとした「面白画像」を織り交ぜてコンテンツを構成してきたこのブログであるが、こうした画像そのものを話題の中心に据えてきたことはなかった。 今回は趣向を変えて、こんな画像をご覧いただくことから始めたい。 いかがお感じになっただろうか? この画像は、いわゆる「面白画像」をストックするサイトから拾ってきたものである。 「捜査のプロ」と冠されている、田宮榮一(ノンキャリア組の元警察官。ノンキャリア最高位である警視監まで昇任した)の犯人の見立ては、言い換えれば「20歳から59歳までの人物」を指している。 この画像をポスティングした人物は、物知り顔でコメントする有識者が、実際は限定の甘いコンサバなコメントを残している点に関して、揶揄する意図があったのだろうと想像する。 しかし、私はこれを誠実な回答だと評価する。 世間を騒がせる(厳密にはマスコミが騒いでいるだけだが)犯罪が勃発すると、それに有識者の声が付せられることが多々ある。元警察関係者、推理作家、心理学者…などなどである。ただ、私はこうしたコメントに懐疑的である。 犯人による証拠隠滅を防ぐため、あるいは「犯人のみが知りうる情報」として秘匿し、その事実を知っていることを根拠に犯人を特定するために、いわゆる「警察発表」では全ての情報は公開されないのが通例である。いかなる「有識者」であろうとも、マスコミによる報道というフィルタを通した警察情報から判断した、個人的見解しか発表できないわけで、そのコメントに一体何の意味があるだろう? と訝しむわけである。「論理的」であることに誠実であろうとすればするほど、明快な回答を与えるのに時間を要することがある。こうした人々の思考は時に愚鈍に映る。 例えば「論理」の探求者といえば数学者である。彼らはごく簡単に見える事実、『 nを2より大きい自然数としたとき、Xn + Yn = Zn を満たす自然数 (X, Y, Z) の組は存在しない 』 という事実(フェルマーの最終定理)を「真」だと言い切るのに360年の歳月を費やしたのである。 フェルマーの最終定理は、100程度までのすべてのnについて成立することは、早くから知られていた。が、これは「すべての自然数n」についての成立を保証するものではなく、数学者はこの事実を「真」と認めてこなかった。極論すれば、仮に1億までのnについて証明できたとしても、1億1のnで反例があるかもしれず、真の証明とはならない。この論法を取る限り、これが永遠に続くのだ。 実際の証明は「谷山・志村予想」と呼ばれる楕円曲線に関する命題を経由した、いかなるnについても言及できる厳密な証明である。 ただ、逆に言えば、それだけに論理的考察が「真」だと認める命題は、厳然たる真実だと言うことができる。そもそも「命題A」を真だと断ずるには、あらゆる可能性を吟味し、いかなる反例をも排除しなければならない。これをできるだけ客観的に行おうとしている(すべてのケースでそうだというつもりはないが)のが警察であり、こうしたコメンテーターの意見は、すべて外野の戯れ言にすぎないのである。 そういった意味で、前述のコメントは誠実な回答だと思う。その場の思いつきで、自分の憶測と勘(推理とは呼べない)を披露して無知をさらけ出す馬鹿よりずっと良い。もし限定の厳しい回答を期待していたとするならば、少ない情報だけを元に意見を求めるその発想そのものが劣化しているか、コメントを求める人物の選択を間違えているのである。どちらにしても、メディア側の質の問題である。 時間の無駄なので全く見ていないが、未だに海外から招聘した超能力者に未解決事件の解決を依頼する、といったスペシャル番組があるらしい。全くもってその神経が理解できない。過去にまぐれ当たりはあったかもしれない。ただ、そうした超能力者の「正答率」の検証がないままの杜撰な番組作りは、地道な捜査を担当している関係者への冒涜になりはしないか。 2004年に起こった奈良女児誘拐殺人事件で、宮崎勤事件との安易な連想から、犯人は「フィギュア萌え族」の犯行だと勝手に決めつけておきながら、その説が破綻した今も、自己批判もなく、のうのうと「有識者」然としていられる輩がいるのはなぜか。 こうした所詮「外野」の意見は、きちっとまとめて検証をしてほしいと思う。 いつまでも安全圏からの物言いが許されるべきではない。 初日のエントリーに関連してもう一度言うが、私が全く解せないのが、「ライブドアの株価はもっともっと伸びる」と逮捕1ヶ月前のその社長にぬけぬけと言い放ち、「ポスト小泉は武部」との妄言を繰り返していたペテン師が未だにテレビによく出ているらしいということである。 私が今興味を抱いているトピックの一つが、今日のエントリーにもあるメディアリテラシーの問題である。「社会」というカテゴリーで、何度かこの問題に関する雑感を述べていきたいと思う。 特に昨今の一部マスコミの恣意的な報道には目に余るものがあり、憤懣やり方ない気持ちで一杯である。若干このカテゴリーの記述は愚痴っぽくなるかもしれないが、ご了承願いたい。