初の宿坊体験
出張で高野山へ行ってきた。弘法大師のふところ、高野山。我が町からは大阪なんばへでて、南海電車で極楽橋まで、そこからケーブルカーに乗って行くという行程(奈良県を縦断する手もある)で、けっこう行きにくい。はじめは「うげげっっ・・高野山かよ・・・・」と思っていたのだが、行ってみるとこれがまたとってもいいところだった。まずは何といっても涼しい。下界では熱風が吹いていたのだが、高野山では涼しい風。とても心地がよい。そして、その落ち着いた雰囲気。なんとも、ゆったり時間が流れている。仕事で来たのではあるが、せっかくなので、奥の院に行こうということになった。奥の院までは、一の橋を渡り約2キロの道のり。その間、歴史上の人物や著名な人々の墓石が立ち並ぶ。宗派を問わず、来る者を拒まない真言の教えによるものだろう、実にたくさんの方々の墓石や団体の慰霊碑があった。途中豊臣家の墓があったのだが、これのエピソードはおもしろかった。もともと秀吉は高野山を手に入れたいと思っていた。根来攻めなどをしたのはその前段階だったのが、そのようすを聞いた当時の高野山官長が秀吉の元に出向き、自分の命と引き替えに高野山を軍事攻撃しないでほしいと懇願したそうだ。その姿に心打たれ、官長の説く話に心動かされた秀吉は「高野山あっての官長ではない。この官長あっての高野山だ」として高野山攻めをやめ、高野山は豊臣家のために能舞台をつくった。その能舞台あとが現在の豊臣家の墓となっているとのことだ。高野山には金剛峯寺のほか、たくさんの小院があるが、金剛峯寺が直接管理する墓はこの豊臣家のものだけらしい。さて、高野山で泊まるといえば「宿坊」。これもはじめ気が進まなかったのだが、泊まってみるとこれがなかなかよい。精進料理といえどもどれもこれもおいしかったし、部屋も風情がある。空調はないが、朝方は布団をかぶらなければ寒いほどだったし、何よりも宿坊のみなさんの応対がすばらしい。高野山参詣者をもてなすのは「お接待」といわれ、大師の教えの一つとのこと。その教えの実践をこれまでにされることはすばらしいと思った。朝の勤行は失礼ながら睡魔に負けて出なかったが、朝食もじゅうぶんに頂いたし、昼食にいたっては「松茸を頂いたのでみなさんにも・・」と、松茸ごはんに松茸天ぷらを出していただいた。帰りにはおみやげまでいただき、気が進まなかった自分を反省した。高野山には50を越える宿坊があり、小じゃれたところ、料理を充実させたところ、などいろいろあるのだが、今回お世話になったところは「まさに宿坊」で「お接待の姿がすばらしい」といわれる「蓮華上院」さん。お世話になりました。ありがとう。