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カテゴリ:何度も読みたい言葉
今日は毎月楽しみにしている”鬼和尚”さんのブログ記事をご紹介させていただきます。
以下引用です。 ******************* 一法専念 投稿日:2017-07-02 Sun 悟りへの道はただ一つではなく、かなり多くあるものじゃ。 お釈迦様が直接説いた止観でさえ、集中と観察にそれぞれ幾つもの方法があるのじゃ。 観察の方法には、四諦があり、それに関連して因縁を観る方法があり、他にも五蘊を観る方法や、感覚とその世界を観る方法などもあるのじゃ。 集中にも数息観の他に、色彩を周囲に観想する方法や、胸や眉間に集中する方法などがあるのじゃ。 お釈迦様が説かなかった方法にも空を観想する方法や、真言を用いる方法や、神仏との一体化を観想する方法もあるのじゃ。 マハリシが説いたような自分とは何か、直接に追求する方法も悟りへの道と言えるのじゃ。 しかし、多くの方法があっても全て行う必要は無いのじゃ。 それらの方法は修行者が自らに合ったものを選び、その一つを続けていくことが大事なのじゃ。 自分に合った方法がわかり、一つの方法に決めたならばそれに専念し、他の方法には心を移さないようにするのじゃ。 ただ一つの自分に合った方法を続けた方が、進歩は早く、高い境地にいけるのじゃ。 例えば山に登るのにいろいろな道があるが、一つの道をひたすら辿って行けばやがて頂上に着けるようなものじゃ。 途中でその道を外れて他の道に行けば、一番下から上り直すことにもなるのじゃ。 今まで上ってきた事は帳消しになり、また最初から上らなくてはならないのじゃ。 修行者が今まで行ってきた法を止めて、別の方法を行ったりするのも同じ事なのじゃ。 今までやってきたことは帳消しになり、最初からやり直すことになるのじゃ。 一つの方法に専念すれば、次第にそれに習熟し、技も上達して、自らの心も知り尽くすことが出来るのじゃ。 いつまでもあれこれと別の方法ばかり探していれば、技も上達せず、心も観えないのじゃ。 例え才能は無くとも一つの方法を根気よく日々続けることで、悟りも向こうからやってくるのじゃ。 昔、シュリハンドクというあまり頭のよくない僧がおったのじゃ。 あまりに物覚えが悪く、兄にも見捨てられるような者であったが、お釈迦様が教えたただ一つの方法を続けることで、悟りを得て十六羅漢の一人にも数えられる目覚めた者となったのじゃ。 そのように物覚えが悪く、才能も無くとも日々一つの方法を続けることで、悟りも得られるのじゃ。 そして一つの方法に通暁すれば、他の全ての方法にも通じるようになるものじゃ。 一法は万法に通じ、万法は一法に帰すというのじゃ。 一つの道から登って山の頂上に立てば、全ての道が見渡せるようなものじゃ。 一つの道によって悟りを得れば、全ての法を説く事もできるのじゃ。 修行者は自分に合う方法を決めたならば、その道を一筋に精進することで最も速やかに悟りを得られるのじゃ。 そのように一つの道を辿って日々精進あるのみなのじゃ。 **************** 引用ここまで 鬼和尚さんのお言葉は、読むたびに違う気づきがあるんです。 らかんさん(十六羅漢)のお話が出てきたので、前回の帰国で知人に連れて行っていただいた、五百羅漢寺を思い出しました。 個性豊かな僧たちの像がずらっと並び、それぞれが得意とした心得を説いておられます。 答えは一つ! とか、 真理は一つ! 。。。神様は1人! 他はみんなダメダメ!! みたいな、独裁的な冷たさがなくて、 それぞれがその特性を生かして修行に励み、それぞれの手法で人々に説法される、という この型にはまらない多様で温かな感じに惹かれます。 一つの手法を続けること。 と同時に私には頭や心が凝り固まらないようにすることが大切なような気がします。 明日はスワミジの一周忌です。 感謝しつつ、生きている私たちは前に進まねばなりません。 では皆様ごきげんよう ヨガアーユルヴェーダ2週間コース、2017年の日程 9月募集中。日程6名様です。 インドでパンチャカルマを受けませんか? 目に見えない体の深部を整え未病を治し老化防止する効果があるとされるアーユルヴェーダのトリートメントです。 お問い合わせはお気軽に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.07.02 22:16:00
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