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「御諱恵・統、御名睦之三字、自今欠画不及候事 壬申二月 太政官」(明治五年(1872)「続波多野家文書」) 御諱の「恵」と「統」、御名の「睦」の三字は、今後「欠画」するに及ばない。 「避諱(ひき)とは、目上の者の諱を用いることを忌避する、中国など東アジアの漢字文化圏にみられる慣習である。二字名の場合にどちらか一字を忌避・タブーとするため特に偏諱(へんき)といい、日本では二字名がほとんどであるために、偏諱が一般的である。……明治から昭和には日本でも避諱が採用されたことがある。仁孝天皇(恵仁)、孝明天皇(統仁)、明治天皇(睦仁)の諱の内、「恵」、「統」、「睦」がそれぞれ欠画とされた。」( 「Wikipedia」) 【闕画・欠画】(『広辞苑』) 漢字の画を省くこと。特に天子または貴人の名と同じ漢字を書く時、はばかってその漢字の画を欠くこと。「玄」を「𤣥」と書く類。闕字かけじ。 「殿様御名乗茂長公と被為附候、依之長ノ字名并名乗同字ハ用捨可有之候、尤名乗ハ文字違候共唱同様之分ハ用捨可有之候事、但し茂ノ字用捨之儀ハ兼て相達候通ニ候事」(安政六年(1859)「国前寺御触留帳」) 殿様の御名乗、茂長(もちなが)公と付けられたので、「長」の字の付く名前や名乗(実名)は遠慮しなさい。名乗は文字が違っても唱えが同じならこれも遠慮すること。「茂」の字については以前達したとおり用捨しなさい。 茂長と改名したのは、広島藩主浅野長訓(ながみち)のこと、この場合は「欠画」どころか、「使用禁止」になっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/11/02 07:59:09 AM
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