今日はなぜか仏像のネタでございます
通常、仏像って「芸術性」で語られることが多くて、特に運慶・快慶の作品などは造形美が前面に出ていると思いますが、やはり本質は、偶像を通して「宗教的なインスピレーション」を得るための接点だと思っています
確かに、彫刻でも音楽でも絵画でも、「芸術性」に優れた作品は、それだけで天上の世界を想起させるものがあり、例えばモーツァルトの音楽には、人間が前世(あるいは別世界)で感じていたかもしれないような、いわば神々の奏でるような感覚をおぼえることがありますよね?
小林秀雄じゃないですけど「涙が追いつかない」感覚です
しかし、それが本当に宗教的な感性を呼び覚ましているのか、単に旋律の美しさに酔っているだけなのかは、判別しがたいものもあると思います
どちらかというと「芸術性」と「宗教的なインスピレーション」はあまり関係ないんじゃないかと思ったりもします
霊感があるわけでも何でもないんですが、むしろない方だと思うんですが、大学生の頃、京都の山寺の小さな仏像を見て、決して造形美に優れているわけではないのに、自然に涙があふれてきた経験が一度だけあります
「美しさを感じたから」とかそういう理屈であらわせる感じじゃなくて、突然、何の因果関係もなく涙が出てきたのです
「感動した」とか、そういった表現でもありません。ただ、心の奥底から涙があふれてきてしまったのです
悲しいとか美しいとか一切の感情とは無関係な涙だったんです
その感覚を、再度、体験したくて、広隆寺まで
弥勒菩薩(半跏思惟像)を見に行ったことがありますが、心が和らぐ「造形美」に感動はしましたが、京都の山寺で感じたほどの、あの不思議な感覚は遂にやってきませんでした
自分のインスピレーションと波長が合う接点(仏像)を見つけられたら、もしかすると、再び、あの不思議な感覚が蘇ってくることがあるのかもしれません
心の病を感じたとき、そういう体験ができれば、かなり救われると思うのです
難しいことではありますが・・・