|
カテゴリ:カテゴリ未分類
えっと・・・・。
帰国が決定したある日。 うちの両親と暮らしていたニャンコのマーボがこの世を去りました。両親にとってかけがえのない存在だったマーボ・・・・。19年の寿命をまっとうしました。もともとは私が連れてきたニャンコなんだけど、私はこのコによくしてあげることができなくて・・・・。でも両親と暮らすようになって、それはそれは幸せだったマーボ。 弱ってきてしまってからも随分頑張ったよね。一度は逝きかかったのにお母さんの呼ぶ声で意識が戻ったこともあったらしい。そこには愛があったんだなぁなんて漠然と思う。 私が帰るまで待っててほしいなーと思っていたんだけど・・・・。小さいとき、よくしてあげられなくてごめんねと謝りたかったけど間に合いませんでした。 そして。 お盆を迎えたおとついの夜、祖母がこの世を去りました。97歳。 明治生まれの祖母の女学校時代のアルバムを開くと、そこはまさしくハイカラさんの世界。ちょうちんブルマーを履いておさげの頭にはちまきが、小脇にバレーボールをはさんで友達とポーズをとっている祖母の姿。バレーボールやってたの?と聞くと、「ううん、ハイカラなスポーツだからって授業で少しナラってあとはポーズとって写真とっただけ」なんて答えてくれた。 東京で女学校時代を過ごした祖母、現在過去未来の全てがごっちゃになって久しいある日、「そういえば私誰と結婚したんだったっけ?えーーっと慶応の~~」などと発言して、母の失笑を。昔のことなのでロマンスでもなんでもなく顔見知りの学生さん程度のことなんだろうけど、祖父の出身校は慶応ではありません。「何いってるのー。おばあちゃん、●さん(祖父)と結婚して幸せに暮らしたやーん」と母が言うと、「あ、そうやったーうふふ。」なんてこともあったらしい。 これまた現在過去未来がごっちゃになった以降に病院に入院した、ある日の祖母。病院を旅館と勘違いして「あらあらこんなにご親切にー。ありがとう。」なんてやって、周囲の人たちから愛されました。 祖父が亡くなってから数年後、「おじいさんが来たの。玄関の開く音がして廊下を進んできたから、迎えに来たの?って聞いたら、お前はまだもう少しおれって言われたの。おじいさん、昔のように蔵のほうへ歩いていったわ。」なんてこともあったっけ。 お盆に入ったこの日、いよいよ祖父が迎えに来たのかも知れません。でもさ、もう少し待っててくれてもよかったんじゃない?なんて思ってしまうよ、おばあちゃん。貴女のひ孫を連れて帰るところだったのに。まーちゃんも、おばあちゃんもツレナイわ。くすん。涙出ちゃう。 でも、よく考えてみるとこの暑い盛りに子連れで初帰国する私を待っていなかったのは、2人の(性格には1人と1匹だけど)思いやりなのかも知れない。数年ぶりに行く日本に1週間しか滞在できないうえにロクに日本語を話せない夫、そして生後10ヶ月の娘。この2人を連れてのお通夜やお葬式はかなり大変そうだもの。うちの家族らしい気配りだな。 と、いうことで私取り乱したり大泣きしたりはしないことにしました。遅がけの産後鬱にとり付かれている私にとって、これはかなりつらい出来事ではあるけど、故人と故猫の意思を尊重することにしようではありませんか。 この数日で急に表情が豊かになり、ちょっとの間たっちもできるようなった娘。気まぐれとはいえバイバイも拍手もできるようになったし、リズムにのって踊ったりもするこの新しい生命体を無事に日本に連れて帰る事に専念しようと思います。 おばあちゃん、まーちゃん、バイバイ。いつかまた会おうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|