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先日の日記に、近所のレンタルでポール・モーリアのCDを見つけて大喜び、という件を書きましたが、実はあの時、それ以外にもいいものを発見していたのでした。
そのひとつが「特選!! 米朝落語全集」のCD。 全部で20枚ほどもあったかもしれませんが、そのうちの一部が置いてあったのです。 落語ファンと言うよりは、米朝落語のファンであるワタクシ。 ちくま文庫の「桂米朝コレクション」全8巻はモチロン持ってまして、ずーっと愛読しているのですが、中には聴いていない噺もあったのです。 CDを買い揃えるとなりますと、さすがにお金だってかかりますしね。 でも、まぁ、聴いていない噺を文庫で読んで、目で文字を追っていましても、脳内では米朝師匠のお声、語り口で再生されるのです。 しかし、中には、 「ここは、どんな風にやらはるねやろなぁ」 ってな部分もありましたので、今回はその部分が解き明かされるのも楽しみで、文庫本と照らし合わせながら聴いたりしました。 そこで今日は、ワタクシの好きな噺をいくつかご紹介したいと思います。 「帯久」 近所同士の2軒の呉服屋、和泉屋と帯屋。 和泉屋さんは主人が人柄もよく、繁盛していますが、帯屋は主人の久七が一癖ある人物で、あまり商売もうまく行っていません。 ところがある時、和泉屋に金を借りた帯久は、返すと見せかけて黙って金を持ち去ってしまいます。 これがケチの付きはじめで、和泉屋はその後不幸続き、とうとう火事に遭ってしまうという転落ぶり。 反対に帯屋は、そこから商売がうまく行くようになり、すっかり立場が逆転してしまいます。 何もかも失った和泉屋さんは、元奉公人だった男にもう一度店を持たせてやりたいとの思いから、その資金を帯屋に借りに行くのですが・・・。 最後は、お奉行様のお裁きで、胸がすくような結末を迎えるわけですが、そのカタルシスは悪役・帯屋が見事に描かれているからこそだと思います。 ホンマに、この噺聴いてたら、和泉屋さんの代わりに頭どついたろか、ちゅうような奴なんですわ、帯屋は。 考えてみたら、そもそも噺のタイトルが悪役の名前というのも、ずいぶん珍しいんじゃないかと思います。 「はてなの茶碗」 京の都で有名な道具屋の茶金さん。 この茶金さんが、茶店でお茶を飲んだ茶碗を眺め回して 「はてな」 と一言呟いたところから騒動が起こります。 もともと何でもなかった茶碗が、人々が興味を持つことでどんどん価値を上げていくところは、滑稽な中にも何だか痛快なものを感じます。 最初に茶碗で一儲けをたくらんだ油屋さんが、思惑が外れそうになった時の諦めのよさには、昔の人独特の「人のよさ」のようなものを感じるのは、複雑な気持ちです。 一山当てようとするよりも額に汗して働きなさい、という教訓にもなっているのでしょうか。 噺の最後のサゲが、またお見事です。 「鹿政談」 奈良県出身のワタクシとしましては、ぜひとも押さえておかねばならない噺でしょう。 奈良の名物は、大仏と鹿。 特に鹿の方は神様の使いということで、昔は鹿殺しは死罪になっていたのだそうです。 誤って鹿を殺した少年と鹿の死骸をくくりつけて、生き埋めにしてしまったなどというむごたらしい話があったそうでして、その少年・三作の墓が、今も奈良市に残っています。 その奈良のもうひとつの名物が「街の早起き」なのですが、これはどうしてだか解りますか? これまた名奉行が登場して、誤って鹿を殺した善人の豆腐屋さんを助けるのですが、同時に規則にばかりうるさくて、自分は横領で私腹を肥やす悪い役人をもやっつけてしまうところがお見事。 また、その際に奉行が、鹿の死骸を強引に犬だと言い張ってしまうあたりは、権力の横暴を正しいことに使うという独特の快感があります。 規則を守るのも大事だけども、時には規則自体が間違っていないか考えることも重要ですよね。 「一文笛」 米朝師匠のオリジナルの噺だそうです。 仲間はずれになっていたみすぼらしい子供に、スリの名人が駄菓子屋でおもちゃの笛を盗んで与えたのがきっかけで起こる悲劇の顛末・・・。 ワタクシはテレビでこの噺を知ったのですが、初めて見た時は泣かされそうになりました。 まさに感動巨編でして、こんな落語もあるんだなぁ、と思わされたものです。 「植木屋娘」 この噺については、くだくだ申しません。 ただただ、年頃になった美人の娘に婿を取らせようとする主人公の植木屋さんのキャラクターの魅力がすばらしいのです。 噺の中では、娘にも「キョトのあわてもん」と言われる植木屋さんですが、せっかちで一人合点でそそっかしくて、口は悪いけどとびきりの善人。 米朝師匠の演じるこの人の言うことを聴いてるだけで楽しい気分になってきます。 こういう人には、ぜひ幸せになってもらいたいものですが、ご心配なく。 モチロン、一発逆転のファインプレーでハッピーエンドと相成ります。 「除夜の雪」 ~ 「けんげしゃ茶屋」 今回急いでCDをまとめて借りたのは、実にこの2題の噺を、今日に間に合わせたかったからなのです。 「除夜の雪」は、モチロン大晦日、「けんげしゃ茶屋」は元日の噺ですので、これを年越しに聴きたいと思ったのですね。 「除夜の雪」は、除夜の鐘をつくお寺が舞台。 坊主達が寒い本堂で待機しながら、寒さをしのぐために茶を飲んだり、何か食べたりするのですが、兄弟子の欲しがるものを次々と出してくる「ドラえもん」のような小坊主がおもしろいです。 最後はちょっと怪談調になって終わります。 「けんげしゃ茶屋」は、華やかな新春のお茶屋遊びの噺。 「けんげしゃ」とは、縁起を気にする人のことで、それも悪い方、不吉なことを極端に嫌がる人のことのようです。 家族揃って「けんげしゃ」というお茶屋の一家に、馴染み客のいたずら好きの旦那が次々と縁起の悪いことを言って嫌がらせるという、ワタクシ好みの大変タチの悪い噺です。 いい歳をしたオッサンが、ここまでしょうもないいたずらに一所懸命になれるというのは、とてもすばらしいことで、ワタクシもぜひ見習いたいと思います。 ま、その部分を除きますと、お正月の色街の描写ですとか、おせち料理や初詣なんていうお正月の話題が出てきたりと、やはりこれはお正月に聴きたい噺なのですね。 ・・・ま、ま、ま、挙げればキリがないのですが、とりあえずこのくらいで。 上方落語は当然関西のものですので、地名ですとか言葉が関西独特のものとなっております。 しかも、もともと古いことですから、地名も言葉も変わっていまして。 例えば、「先ほど」の意味でよく出てくる「さいぜん」なんて言葉は、もはや落語くらいでしか聞けないものになっていますし、逆に今は使われていない地名でも、だいたい今で言うどの辺りか解るということも多いのです。 いやぁ、コレばっかりは関西に生まれた者の特典ですわな。 関西生まれでよかったです! さあ、それでは、「除夜の雪」から「けんげしゃ茶屋」のコンボでめでたく年越しとさせてもらいます! みなさまもよいお年を!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月31日 14時21分53秒
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