50代の転換期

2019/06/05(水)00:35

元農水次官の凶行

主義主張(158)

昨日書いた川崎の事件と大いに関係のある事件である。 東大法学部卒、農水省の事務次官を務めた超エリートが息子を殺害した。 76歳なので退官してしばらく経つが、とにかく事務方のトップだったのだから、 メディアが喜び勇んで伝えるのも無理はない。 もちろん、事件自体に容疑者の経歴が全く関係無いのは自明の理だ。 だが、根本的に腐敗しているメディアにとって「優等生の犯罪」は蜜の味である(笑)。 国民が喜ぶなら、少しでもゴシップ姓を高めるために経歴を最大限利用するわけだ。 ところが、今回は全く違うことについて世間が騒いでいる。 「川崎の事件のような凶行を起こさせないために親が責任を取った」という声が ネットを中心に挙がり、それに対してテレビのコメンテーターが 否定的な意見を述べたことが話題になっているのである。 コメンテーターは玉川徹氏。 私はあの高いトーンで話す声が嫌いで、あまり熱心に彼の意見を聞けないのだが(笑)、 世の中に対する影響力は大きいようだ。私は見ていなかったものの、 オンラインニュースによると 「どんな理由があろうとも、殺人はダメなんです。  そこに至るような状況をいかに取り除けるかということを  メディアは論じなければいけない」 「絶対死んではダメだし、絶対殺しちゃダメ」 と力説したようだ。 これも極めて優等生の解説である(笑)。 もちろん、命を自ら消すことや他人の命を奪うことが人類最大の罪であるのは間違いない。 何度も書いているが、一人の人間にはその人間にしか見られない一つの世界がある。 一つの命が消えると、一つの世界が消える。だから殺人や自殺は大いなる罪なのだ。 しかしながら、「川崎の事件のような凶行を起こさせないために」という 「目的を持った殺人」の場合には若干わけが違ってくる。 この子供殺しによって、隣にある小学校の児童の命が本当に複数救われたのだとすれば、 この父親は社会の安全のためにプラスになることをしたと言えるのだ。 昨日書いた、安全を生み出す「技術」の話である。 当然ながら、44歳の息子がこれから生きていても、 小学生を殺めるなどということは全く無かったのかもしれない。 それは唯一、神のみぞ知るところであり、もはや誰にもわからないことである。 だが私は、連行される父親の顔を見たとき、そこにあるのは諦観だけではないと感じた。 私だけでなく、多くの人々が彼の顔に「覚悟」を見たのではないだろうか。 自分の身の危険を感じたための正当な防衛などという下賤な開き直った感情ではなく、 「『息子を殺さなければならない』と信じて殺した。罪は自分が背負う」という 極めて大きな覚悟を、彼の顔から私は感じたのである。 「『感じた』のだから、それもただの感情論」と言われれば終わりだ(笑)。 だが、「社会の安全性を高める技術」という見方も含めて考えれば、 「とにかく殺人は悪」とひたすら感情的に叫び続けるよりは、 ほんの少しだけ論理的なのではないかと私は思っている。

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