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【405夜】『一年有半・続一年有半』 中江兆民 1995 岩波文庫
405夜は中江兆民をとりあげつつ、三分の一ほどは鷲見房子さんへの追悼になってい ます。文楽のことなら何でも知っているという彼女から、「ねえ、兆民の越路太夫の聞 き方はどういうものだったんでしょうね」とたずねられたところから、松岡の中江兆民像 が一挙に改新されていったというのです。 中江兆民は明治期の自由民権思想家、1847年12月8日(旧暦:弘化4年11月1日) 土佐藩の足軽の子として高知に生まれました。本名は篤介で、兆民は号です。65年 に藩の留学生として長崎へ行き外国語の習得につとめます。ここで坂本龍馬を知り、 ひそかに師と仰ぎ、開明的思想を吸収しました。405夜ではこうした兆民の政治思想 家としての一面よりも文楽狂の中江兆民が前面に押し出されています。 『一年有半・続一年有半』という題名は、兆民が喉頭がんで余命一年有半とされたと ころからきているのですが、そこで彼が政治と哲学と義太夫を一緒に語るという芸当 をやってのけていることに松岡は感嘆しています。ただ、兆民が越路太夫をどのよう に聞いたかについては、残された記録を見るしかなく、松岡は「われわれはそのこと を思いつづけるしかないようなのである」と書いています。 生身の人間がその場で演じるものを見るライブの芸能やスポーツでは、その感動は その場のものでしかなく、後の人間に伝えることはできません。さまざまな媒体でそ の記録が残されるようになった今でも、やはり、そのとき、その場で、同じ時間空間を 共有しながら味わう感動とは、かなり質が変わってしまうことは仕方がないでしょう。 だからこそのライブ、といえるのです。 兆民の三十一人判釈(同時代偉人三十一選とでもいえばいいでしょうか)について、 これを読解できる人間がいれば、明治文化がもたらした日本人が抱えた問題の本質 の一端がわかってくるのだろうが、残念ながら、それはまったくいない、と松岡はいっ ています。無理もないだろうと思います。物真似名人、三味線名人、落語家、歌舞伎 俳優、力士といった人たちの”凄さ”は録音も映像もない時代とあっては後世に伝え ようもないからです。 こういう人たちが残すのは名前と伝説のみです。たとえば稀代の天才ダンサーで、 ことにジャンプがすばらしく、空中に止まって見えた、とさえいわれるニジンスキー、 彼のジャンプを記録した映像は全く残っておらず、それがいっそう神話化に拍車をか けます。映像が残ることになってしまった現代の芸能者やスポーツ選手は、果たして それがよかったのかどうか、考えてみれば皮肉なことかもしれません。 『江戸/東京芸能地図大鑑〈CD-ROM〉』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 25, 2006 11:19:15 AM
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