日本縦断記後半ダイジェスト
縦断記録後半と謳いながら、実は縦断を始めるのはここからなのにダイジェストという(笑)沖縄帰りのフェリー内で会ったセローの兄ちゃんに感化され、なんとなく名古屋に戻って来たオレ。ちなみに帰りはオレの記憶が確かなら、来る時と違って大阪港を経由しないで那覇から名古屋直行だった気がするので所要時間がかなり早かった記憶がある。名古屋はバイクで走るのは当時初めてだったけど、一番驚いたのは片側三車線ある大通りで左車線で客待ち路駐してるタクシーは、まぁわかるとしよう。しかし真ん中車線でいきなりハザード点けて停まって客を乗せるタクシーを見た時「え?ちょっと意味わかんない」と戸惑いました。ツッコミどころはたくさんある。しかし知らない土地に来て深く考えてはいけない。考えるんじゃない、感じるんだ。真ん中車線でいきなりハザート入れて停車始める車がいる事くらい想定してなきゃ、この先生きて帰れない。本来ならこのまま埼玉に帰る予定だったけれど、急遽予定を変更して西に向かい走り始めた俺。宿は基本はキャンプ場を見つけて数百円だったり高いと千円くらいの所だったりなんですが、人が来なそうな河原みたいな所では勝手にテント張ってたりしてました。そんなことをしてたので、実は放浪中に5~6回は警官に職質されております。誰も来ないだろうと思って山中の河原で野営しても、地元の民家の山菜取りコースだったりとか。いきなりテントに警官来て最初は驚きましたが、まぁ怒られるというよりは心配されたケースというか。「キャンプ?」「えぇ」「所有者いる私有地は許可取ってね」「あ、すんません。ここ私有地でしたか」「いや、ここは平気だけどオオカミとかクマ出るからね」「!!」みたいな。あと夜中のバス停で寝てたら巡回中なのか警官に起こされたりとか。でも「始発までには出てってね」で終わりましたけど。日中のコンビニでもパトカーの警官に話しかけられたことありました。まぁ、県外ナンバーで大荷物積んでるバイクがいたら、警察としては「一応やっとくか」みたいな感じでしょうけど。職質も慣れてくるとオレもオレで対応がわかってくるので、警察に声かけられると聞かれる前に全部喋ってました。警官「ちょっといいですか」オレ「あ、ご苦労様です。身分証は免許でいいですか?(免許出しつつ)生まれは埼玉、家は東京で野村というもんです。仕事は旅人、21歳独身、この荷物は野営道具と工具類。何か用ですか?」そして旅の道中、居候したのは沖縄の粟国だけじゃなく、実はちょっと変わった住職のいる寺?で数日居ついてた事もあります。あそこが京都なのか奈良なのか、場所的にどっちなのかは定かじゃありませんが。バイクで走ってて雨が降って来たんで、人も居なそうな小さな廃寺みたいな場所で雨宿りしてたんですが、寺の敷地内に民家があって、そこの住職に見つかっただけなんですけど。廃寺でも何でもなく、単に寺社と言っても東寺や法隆寺みたいな参拝客がたくさん来るような立派な寺だけじゃないってだけの話なんでしょうけど。オレの実家の近くにあって地元の住人が年末年始に初詣に訪れる以外はまるっきり人気の無い神社の隣に併設されてるボロ寺に毛が生えたくらいの怪しげな寺でした。まるで戦に負けた落ち武者が自害するのにピッタリのシチュエーションである。なかな面白い住職で、家の書斎に本棚があったんで「さすが聖職者、勤勉だな」とチェックしたら確かに難しい宗教系の本とかもあるんだけど、そこに紛れてクラウゼヴィッツの戦争論とか紛れてて、床の間もどきの部屋には真剣が飾られてた。アンタは石山本願寺の僧兵か!と。「住職、これ真剣じゃないですか」「登録証なら持ってる」試しに抜かせてもらって思ったのは、思ってたよりも重い。もっとペラペラで軽いのかと思ってたけど、よく考えりゃ鍛造鋼なんだから竹刀より全然重いのは当たり前ではある。色々と面白い話をしましたが、今でも覚えてる会話はいくつかあって、当時まだ若い小僧だったオレが、いかにもイキった感じで「俺は目で見たモノしか信じない」とか言ったら「人間の目なんぞアテになるかいな」みたいな。まだ若かったし宗教をどこかでバカにしてたオレに「キミの両親がキミを生んだ所をキミは見たのか?見てないだろ?でも自分の親だと信じてるよな?信じなきゃやってらんないし信じてる方が幸せだろ?」と。なんだかんだ置いてある本とか、そういう話が面白くて3日くらい居座りましたが、口喧嘩には多少の自信があったオレが全敗でした。基本的には旅は海沿いを走りながら、なるべく全ての県を一度は足を踏み入れるようなルートで行き当たりばったりで走ってました。淡路島って思ってたよりデカいんだなーとか、瀬戸大橋渡りながら「ここが村上水軍の縄張りか!」とマイナーな感激に浸ってみたり。本場の豚骨ラーメンを食べようとして初めて「麺の硬さ」を指定できる事や「九州=豚骨」と思ってたけど、現地じゃ久留米だ長浜だ博多だと微妙に違う事を知る。行く先々でラーメンしか食ってねーじゃんと我ながら思うくらいラーメン食ってたけど、舌の貧しい小僧でも一応はちゃんと現地の名産とかも食べたりはしてた。強烈に印象に今でも残ってる食べ物を幾つか挙げろと言われたら、多分次の3つかな。〇広島の牡蠣広島で牡蠣が有名なのも当時現地に行くまで知らなかった。早速食べようと思って、それっぽい店に入ったけど、隣で飲んでたおっちゃんが「ホントは夏場の岩牡蠣が最高だけどな。今は旬を少し外れてるから」と。でもね、そういわれてあまり期待しないでいたんだけど、食った瞬間に「これ牡蠣?」ってくらい美味かった。…そう、何度も言うが、オレは海なし県の埼玉県民である。もちろん埼玉でも魚屋はある。スーパーで牡蠣も売ってるし、我が家で牡蠣フライをオカンが揚げたのを食った事もある。ただ、バイクでツーリングや全国を旅するようになって各地で海鮮を食って痛感したことは「所詮は海なし県。どんなに冷蔵技術や輸送インフラが発展しようが朝獲ったモン昼に食える海有り県の鮮度には勝てないのだ。なんなら回転寿司ですら、埼玉の回転寿司より港の近くの回転寿司の方が明らかに美味いし。「マグロの赤身なんか血の味しかしないし大してうまくない」と思ってたオレが漁港の食堂で食ったマグロに感動して「今まで俺が食ってたのは何だったのか?」と認識を改めた時と同じ衝撃を受けた。「俺が今まで食ってた牡蠣はなんだったん?しかもこれ旬を外れてんでしょ?」と。〇富山 「寒ブリ」西日本、九州を回り、日本海側メインで関東に向けて走ってたオレ。「氷見の寒ブリ」くらいはオレも名前くらいは知ってた。ただ、何度も言うが俺は海なし県のs…(以下略それまでのオレの認識では「ブリの照り焼き=タレの味しかしない。パサパサ」みたいなイメージだった。富山に入り、早速ブリを照り焼いちゃってくれそうな店を探す。広島の牡蠣と違い、ブリは正に旬も旬の真っただ中だったので期待は膨らむ。カウンターで目の前で炭火で焼いてる所を見ただけで、もう涎が1リッターくらいは出てた。…いや、嘘です。そんなには出てない。食った瞬間に思った。「これはもう肉だ」と。あれ一枚でオレは御飯3杯はイケる。よくテレビの食レポで食べた瞬間にリアクション取る人は多いけど、あれはそういう仕事だからやってるのだ。俺は知ったよ。人間、ホントに美味いモンを食った時は笑ってしまうんだと。〇青森 「海鮮バイキング丼?」厳密には第二次縦断の時の話。正式名称はわからんので、オレが勝手に名付けたんだけど、システムが面白かった。何度も言うようだが俺は真の海鮮を知らない埼玉県民なn…(以下略全国を旅してて覚えたのは「美味い海鮮は魚市場かその近隣の店」という事。本州北端の地を走破しながら、何やら魚市場なのか卸市場なのかみたいな建物を発見。中をのぞいたら当然ながら獲れたばかりの海鮮類が並んでる…のだが、なんか店の人曰く自分で海鮮丼を作れるとか。要するに丼に米を盛って各売り場を回りながら好きな食材を選んで丼用に1切れ2切れ買って回れば自分の好みの海鮮丼が作れると。確か使った金額千数百円だったかな?丼に米見えないくらい魚介てんこ盛りにしてその値段だった。どれも美味かったんだけどオレが一番驚いたのはイカ。ぶっちゃけ、イカなんてそれまで俺の中では寿司ネタでも最安値エリアにいる安いネタという認識だったんだけど、あのオールスター海鮮丼の中でのイカの主張ハンパなかった。「伊達に足10本も生えてねーぞこのやろう!」みたいな。まぁ、各地で美味いモン食ったと言いながら、ラーメンだったり店も居酒屋だったり漁港だったりと安上がりなのは当時まだ21歳でビンボーだったのでご愛敬です。今もし同じ旅をしたら、当時よりは財布も暖かいし「美味いものに高い金を出す幸せ」も知った年齢なので、きっと回らない寿司屋とかでイカもスダチと塩とかで食うのかもしれません。でも、それができるくらいになると知ることができないモノもあるわけで、あの頃に食べたブリや牡蠣や海鮮丼の味は多分今後もオレの人生の中での贅沢のベスト5くらいからは外れない気はします。旅をして何か変わったか?と聞かれれば一番変わったのはオレの性格じゃないかと思います。一言で言えば視野が広がり、若干丸くなりました。それまでの10代の自分はどこか世間をバカにしてるというか、斜に構えてるような傾向が強いというか、視野が狭かったのでわかってない事をわかった気になってたとでもいうのかな。まぁ海鮮のホントの旨さも知らなかったくらいですしね。色々な人に出会って色々な話を聞いて、一言で言えば「井の中の蛙」から抜け出したのが一番の収穫だろうなと。まぁ、ある程度の年齢になればみんな世間を知り井の中から抜け出すもんなんですが、もし抜け出すのが30歳のときだったらオレの人生は今とは変わってたでしょうし、もしかしたら42の今でも抜け出してない可能性すらあったかもしれない。当時はスマホなんか無かった。携帯電話はあったし、インターネットはメールくらいは送れたけど今みたいにPCサイトは見れず携帯用サイトみたいなのしか見れないので情報ツールとして機能してなかった。なので美味い店とか、見所の観光情報なんかは現地の人に聞くとか本屋でガイドを立ち読みして得るとか、ナビも無かったから地図見てテキトーに走ってたり。今同じことしようとしても多分もうできないんだよね。そもそもテントなんかいらないよ。ネカフェで安く寝泊まり出来てシャワーまで使えるんだし。情報もスマホで食べログとか見れば美味い店なんか見つかるしね。ぶっちゃけ誰とも関わらずに旅することもできるかもしれない。でも、人の気配の全くない山の中の河原で夜中に川で小便しながら見上げた星空を見て閃く事とかあるわけさ。情報得る為にラーメン600円で食って店主におススメの店教えてもらったりさ。そういう交流で広がったオレの視野とか考え方は今に生きてるからね。あれは若い頃に経験したからこそ今に生きてるんだと思うけど。結局この縦断旅行は一度埼玉に帰り、新しい仕事を始めた後に夏の盆休みをフルに使い東北、北海道と走破する事で完結したわけですが、全国を旅するとね、色々とその後の人生面白いですよ。もう数年前ですが、山形の銀山温泉て所に温泉旅行に行ったんですけど、初めて行く土地のはずが「なーんか見覚えあるような」みたいな光景とかあって、それもそのはずで、若い頃に近くをバイクで通ってるからね。今も各地に旅行に行く度に「あの頃この辺であれ食った気が」みたいな記憶が呼び起こされるから懐かしくなるし。あと旅して知ったのは、誠に失礼ながらオレは「東北=田舎」だと思ってたんだけど、東北でも北関東でも、ホントの大きい都市は意外と栄えてんだよね。仙台とか盛岡とか駅の周りは東京でも大差ないもん。まぁ交通量とか、少し郊外に離れた時の感じは差はあるんだけど、それまでのオレのイメージだと「東北=テレビもねぇ、ラジオもねぇ」みたいな(笑)吉幾三の影響だなコレは。なんなら東京でも青梅や奥多摩なんかペンギン村に毛が生えた程度の街だし余裕で地方都市に負ける。ちなみにオマケ余談というかカミングアウト。一応この旅で「全国47都道府県」を全て「一度は足を踏み入れた」と完遂したつもりで埼玉に帰り、その時の店の社長にそんな報告をしたときに判明した事。オレ「北海道まで塗りつぶしてきましたよ」社長「おお、1週間で走破とは強行軍だな」で、そのルートを話してたら社長が一言。社長「千葉は前回行ってたのか?」オレ「…千葉」社長「いや、そのルートだと千葉経由してないよな」オレ「…千葉県」えぇ、灯台下暗し。全国踏破したつもりで千葉だけ失念してた(笑)むしろ近すぎて忘れてた。まぁ、それまでのツーリングで館山の方とか行ってるしアクアラインだって渡ってるから未踏の地では無いのだけど、なんか気分悪いし千葉に申し訳ないのでその次の休みに千葉だけツーリング行って来て本当の意味で完遂しました。とはいえ、埼玉県民が全国踏破しようとして隣の千葉忘れるとか笑い話ではある。と、まぁ全行程書くとマジで本になるくらいあるのでかなり後半は端折りましたが、とりあえずこれで旅行記は完結です。まぁ、今後もちょいちょいネタで出る事はあるかもしれませんが。