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虎魂悼罪

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2020年06月01日
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カテゴリ:昔話
ノリと勢いだけで沖縄でキャンプ生活を始めてしまった若かりし頃の野村青年。
なにぶん昔のことで時系列の記憶が曖昧なので、前半はとりあえず覚えてる内容やエピソードを羅列していきます。

沖縄で驚いたことの中の一つとしてドル札が使える事ってのがある。
なんとなく噂では聞いてたけれど、晩飯食ってる時にレジで爺さんが「ドルは平気ね?」「はい」みたいなやり取りをしてて、普通にドル札で支払いしてたんだよ。
まぁ、基地の近くだし米兵も使う店だからといえば自然ではあるけど。
でも釣り銭は日本の小銭で受け取ってたように見えたけど。
ただどうだろう?当時、オレの記憶が確かならドル円為替相場って1ドル120円とか130円くらいだった気がするんだけど、各店舗でレート把握してんのかな?とか、その時は思ったけど、言われてみれば銀行のATM使う時に為替相場の表示があったし、ドル円の両替機もあったような。
まぁ全ての店で使えるわけじゃないんだけど。そもそもレート次第じゃ円で買い物した方が安かったりするんじゃないかとか。
あと、現地語マジわからん。
前の記事で浜辺でおばぁ3人とメシ食ってた話を書いたけど、彼女らはオレに向けて話しかける時は一応は標準語で話しかけてくれようとするので内容は理解できる。
ただ、おばぁ同士の会話は隣で聴いてるオレには何言ってんのかサッパリ聞き取れない。
それもそのはず、その後に立ち寄った喫茶店で現地の若い女性店員と話した時に、そのことを話したら地元に住んでる自分達世代の若い人でも老人の使う島言葉は理解できないときあると。
しかし、ユースホステルのアメリカ人とかもそうだけど、人間てのは言語違えどしょせんは同じ人間なので互いに相手の言う事を聞こうとする姿勢さえあればボディランゲージとフィーリングで大体会話が成立してしまうという事を身をもって知る経験にはなった。
あと、人間てのは環境に身体が適応するんですかね?
当時は冬だけど沖縄暖かかったのでオレはテント住いの時はまだしも、ユースホステルとか屋根下宿泊の時はTシャツに短パンみたいな恰好で宿の中を徘徊してたのですが、フロントにいた宿の主人が「今夜は寒いねー」とトレーナーを着込む。
それに対しTシャツに短パンで「そうっすねー」と空気を読んで相槌を打つオレ。
…多分この人が東北に連れて行かれたら日中に凍死するんだろうなーと、その時思いました。
日中気温が一桁とか、ここの人からしたら未知の世界なんだろう。
あと、那覇の街中とかだと若い女性がコート着てたりジャケット羽織ってたりするのを見るんだけど、地元のラーメン屋のオヤジに言わせると「あれ中は薄着なんだよ。我慢しておしゃれしてる健気な乙女心だな」とのこと。
つまりファッション防寒だとか。
でもユースの主人みたいに日没後も16度くらいあるのに寒いと言ってる人達なので、実は日中20度超えてても当人は寒いのかもしれない。
沖縄本島で何日か過ごすと、やはり離島にも関心が出てくる。
パッと思いついたのは宮古島と石垣島なんだけど、関東人のオレの感覚では沖縄本島とそれほど離れてないんだろうという舐めた認識でいた。
しかし現地に滞在して現実を知る。
沖縄本島から宮古島まで300キロくらい離れてる。その先の石垣島までは更に100キロ以上。
ザックリ東京から名古屋、大阪くらいまでの距離がある。
なので、そもそも同じ県だけど天気が一日遅れで来る。
そんだけ離れてるとフェリーでまたバイク運んで渡航したところで、また1日以上かかる。
金もかかる。
なのでもっと近場の島を探した。

最初は渡嘉敷島というすぐ近くの離島にフェリーでバイク運んで行きました。
人口300~400人とか言ってたかな?ほぼ若者いません。老人と子供だけでした。
那覇から午前中にフェリーが出て帰りの便は午後3時とかだったかな?半日くらいしか島に居られないなぁとか心配してたけど、バイクで走れば1~2時間もしないで島は回れそうな小さな島だった。
そして信号が見当たりませんでした。
というより信号を設置するような交差点がそもそもないというか、交通量が皆無と言うか(笑)
自賠責のとうに切れた原付が普通に家の前に置いてあったり、それどころかナンバー朽ち果てて識別不能なカブとかも普通に稼働してそうなカオスな島でした。
フェリーは俺が名古屋から乗ったような大型客船ではなく、もっと小さな連絡船みたいな船で、デッキにはテーブルや椅子が設置されてたけど、とにかく大揺れに揺れまくるしデッキも波がバシャバシャかかるので、あのテーブル使う人おるのか?みたいな。
客も少なかったけど、一人だけオレと年のころも近そうで地元の人じゃなさそうな若い女性がいたのに気付きました。
女性の一人旅ってのも珍しいかなーとか思ったので覚えてたんですけどね。
港についてバイク出して渡嘉敷島を南下して、早々に行き止まり、浜で景色を一通り楽しみながら「ホントに海がエメラルドグリーンなんだな。観光ポスター嘘じゃなかったか」と感心。
オレはてっきり、観光パンフレットの写真なんか絶対に加工してんだとばかり思ってたが、間近で見ると海の水は透明に近いくらい済んでて、少し離れると青い。丘の上から見た海はキレイなエメラルドグリーンだった。
海なし県民の埼玉人、本当の海を知る。
そして引き返し、今度は北の方に向かおうと走り出す。
なんでも「青年の家」みたいな宿泊施設?があるらしく、多少山になってるので見晴らしも良さそうだったので。
適度な勾配の山道をバイクでのんびり走ってたら、さっきフェリーの中で見た一人旅の若い女性が汗をハンカチで拭きながら山道を登ってるのが見えた。この先にある目的地なんか一つか二つしかない、同じ場所向かうんだろう。
それまでフレンドリーで警戒心0の沖縄県民にすっかり感化されてたオレ、おもむろに声をかける。

「良かったら上まで乗ります?」
「あ、フェリーにいた人ですよね」
「よく覚えてましたね」
「えぇ、バイクの恰好してたので」
「怪しいもんじゃないです。ただ、あまりのんびりしてると帰りの船に間に合わないんじゃないかなーと」
「ヘルメットないですけど」
「この島いらないんじゃないですかね?そもそも取り締まるお巡りさん存在してるのかどうか(笑)」
「じゃあお願いしようかな」

自賠切れやナンバー欠損車が平気で走ってる島だ、問題なかろう。

この時思いました。
どうせ日帰りだし重いからとユースホステルにテントや荷物一式置いてきたのはマジで好判断だったなと。
あれ積んでたら人乗せられないしね。
そんな経緯で、人生初のナンパを経験し展望台から景色を眺め帰りも港まで送り、3時間ほどデートしたのが、オレの日本縦断の中における唯一の浮いた話です。
ま、その後に繋がる展開は無くその場で出会った旅の変な男で終わりましたが。

そんな経緯で次の離島はどこにしようと探して決めたのが粟国島という島。
ここも本島からそれほど遠くない。
ただ、今度は島でできればキャンプで数日過ごそうと思ってたので荷物は一式積んでた。それに往復便の時間が短いので島で泊まることになりそうだったし。
島自体はなーんもない…と言うと失礼だが、まぁのどかな島でした。
問題は2日目にフェリーで帰ろうとしたらフェリーが欠航になるとのことで、しかも理由がまたも大雨だか海が荒れるだか天候不良らしい。
そうなると、キャンプも難儀するなぁと困ってたら、ちょうど港についた時にオレのバイクを見て声かけて来た爺さんが再度俺を見つけて声かけて来た。
「泊まるとこあんの?」
「いえ、これから探すか、浜でテントですかね」
「浜で流されたら台湾まで流れちゃうぞ」
いや、お爺さん、海流逆なんじゃないですかね?とは思ったが、身を案じてくれてるので、あえて突っ込まない。
「…ウチ泊まるか?」
…この人は一体何を言ってるのか?
どこの馬の骨とも知らん男を自宅に泊めてやろうという提案は普通に考えて警戒心無さすぎだろう。
…とは思ったが、そもそもよくよく考えてみたら、オレが沖縄に来てから現地の人で警戒心を持って俺に接してきた人を見たことが無い。
そうだ、ここはそういう土地だ、多分。
冷やかしで入った店でお茶やお菓子は出てくるし、勝手にキャンプしてる奴にさつま揚げは食わせてくれるし、東京じゃまずありえない珍事が普通に起きる場所なので、知らん男を家に泊めようとする爺さんが出没しても多分珍しい事じゃないんだろう。
とはいえ、さすがにタダで泊めてもらうのも厚かましいので「何かお礼を」と言ったら、とりあえず婆さんと二人暮らしで退屈だから何か面白い話でもしてくれればいいよと。
…そして、一晩の宿を借りるだけのつもりが、何故かこの老夫婦の家で数週間も居候するという異例の展開になる。
何でそんなことになったのか。
おそらくきっかけは麻雀牌。

一宿一飯の恩を返そうと、せめて何か掃除でもさせてくれと部屋を片付けてたら、麻雀牌が目に入って、聞いたら打つには打つけど、息子や親戚が来る年末年始じゃないとメンツが揃わなくて、ご近所の友達入れても打てるの3人しかいないから普段はなかなか打てないと。
まぁ、こんな島に雀荘なんか無いだろうしね。
俺も上手くはないけど一応打てますよとなんとなく言ったら「じゃあ打とう」みたいになって、近所の人呼んで卓囲んで麻雀打つみたいな(笑)
というか、この島だけがそうなのか、沖縄全体そういう風習なのか、なんか晩飯とか自宅で食ったと思ったらおもむろに酒持って隣の家とかにフラッと行って隣の家の家族と突然宴会始めたりする。
逆も然りで、爺さんの家でメシ食ってたら突然隣の爺さんが上がってきて酒とツマミを土産に持ってきて酒飲み始めたり。
無断で人の家に上がるとか、それ東京でやったらさすがにご近所さんでも通報される行為だと思うけど、そもそも縁側は開放されてるから施錠もしてないし、もう慣れてくると「いるかい?」といきなり知らない人が家に来るのも気にならなくなる。
んで、メンツ揃うと麻雀始まるみたいな。
なんかでも、オレの知ってるルールとは少し微妙に違いましたけどね。
積み棒1500点とか。
まぁ島じゃ釣りをしてみたり「なんか大きな乗り物乗ってる変な男」に興味津々の近所のガキんちょにボール持たせてスライダーやカーブの握りを教えたりしてました。
ただ飯に宿まで借りてる身なので、家の網戸張り替えたりチャリンコ直してあげたりメシも作ったりしてましたが「そろそろ帰ろうかな」と言い出すと婆さんが引き留めるので、帰るに帰れずズルズルと長居してました。
珍しい食べ物は多かったんですが、当時のオレがハマったのは正式名称わからんけど、黒糖入りの蒸しパンみたいなのがあって、黒糖とか塩の製塩とかが特産なんですかね。
あと渡嘉敷島もそうだったけど、粟国島は猫が多い。
もうそこら中で日光浴してる猫を見かける。
一日島をブラブラして出会う人間の数よりも多い。
時期が時期ならダイビングとか海水浴客みたいな観光客が来るらしいけど、俺がいた時期はシーズンオフで島の外からの客はまばらでした。
オレは爺さんに教えてもらったポイントでワームで釣りなんぞをしてましたが、何が困るって釣れた魚が見たことも無い魚で「これ食えんのかな?」と(笑)
そもそも釣りも魚もそんなに詳しくないし、元々はオヤジに連れられて行った川釣りメインだったので「なんだこれ?ハタ?見た目は美味そうだけども…」みたいな。
でもメシと布団を借りてる以上は食い扶持くらいは釣って帰らんとカッコつかないと竿を振りますが、ヘタクソの俺でもあれだけ釣れるんだから、釣り好きが行ったらバカスカ釣れそうではある。
まぁダイビングでアジの群れが島のすぐ近くで見れるような島なんで魚は掃いて捨てるほどいそうですが。
なんなら漁港のすぐ近くでウミガメが悠々自適に泳いでたりするし。
それ見て「竜宮城は沖縄の深海にあるんじゃねーか?」なんて妄想してました。
タイやヒラメの舞い踊りなんて見れそうな海なんか沖縄くらいしかないだろ。

そんなこんなで数週間、ダラダラと浮世の喧騒とかけ離れた環境で生活してたわけですが、さすがに俺にも帰る故郷がある。
というか、あと数週間こんなところで生活してたら、確実にオレは沖縄移住を検討し始めてしまいそうな予感がした。
実際に沖縄本島を旅してる時にメシ食いに入った店とかで「なんか地元の人っぽくないな」みたいな店員もいて、聞けば内地にいたけど旅行で沖縄に来て虜になり仕事辞めて移住してしまったダイビング好きとか、そんな人をたくさん見た。
気持ちはわかる。オレもちょっと部屋の家賃とか調べ始めた事もあるし。
でも俺には次に仕事が決まってるし帰らなきゃいけない。
失業保険で暮らしながらこんな楽園みたいな生活をしてていいわけはないのだ(笑)
そんなわけで、世話になった爺さん婆さんにキチンとお礼と別れを言い、フェリーでいったん沖縄本島に戻った。

その時までは「このまま本土に戻って名古屋から埼玉に帰るか」と思ってた。

日本縦断なんかする気はなかったはずなのだけど、沖縄から名古屋に戻るフェリーには、オレの他にもバイク乗りが2人くらいいた。
1人はV-MAXのオッサン、もう一人はセローの兄さん。
このセローの兄ちゃんがすごく面白い人だった。
なんでも「冬は沖縄の製糖工場で住み込みバイト、夏は北海道リゾート住み込みバイト」というサイクルでバイクで日本を北から南まで毎年往復して渡り鳥みたいな生活をしてるらしく、年に何度か家に帰る時はあって、ちょうど今は一度家に帰るところだと。
その兄ちゃん曰く「逆サイクルもある」とのことで「夏は沖縄のマリンリゾートバイト。冬は北海道のスキー場住み込み」のパターンもあり、何故か「俺は海もスキーもどっちもいける」とドヤ顔で語っておりました。
そんな生活がもう3年目だったかで、そうなるとバイト先も顔が効いて「今年は来るの?」みたいな誘いが来ると。
その兄ちゃんの旅の話を船の中で聞いたオレ、どうせ次の仕事が始まるまで1か月以上ある。
…よからぬことを考え始めておりました。
次回「日本縦断記後半ダイジェスト版」です





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最終更新日  2021年11月19日 23時48分00秒
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