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やすらぎへの道

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2005.01.07
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鍼灸学校を卒業し無事に国家試験にも合格したところで、東京の治療院で働くことにした。

世田谷の三軒茶屋にある治療院で患者さんの数も多く忙しいところだった。

しばらくして代々木上原に分院を出す話があり、新規の治療院を立ち上げることに興味があったので自らすすんでオープニングスタッフに加わった。

新しい治療院は始めこそ暇だったものの、しばらくすると口コミで患者さんが増え始め順調に軌道に乗り始めた。

この治療院から歩いて10分ほどのところに以前提携診療所になっていた幡ヶ谷診療所があった。

この診療所は川勝先生という先生が院長をしていたが、私が食事療法の施設に興味があることを知ると伊豆の保養所でスタッフを募集しているらしいと教えてくれた。

すぐに電話をして詳しい話を聞いてみると、調理の経験があって、ペンションでも働いたことがあり、治療師の資格があるなら文句なしなので、できるだけ早く来てほしいという返事だった。

そのころには新しい治療院も軌道に乗っていたので、院長に事情を話してやめさせてもらうことになった。

オープニングスタッフだったのでいろんな思い入れもあり後ろ髪を引かれるような気持ちもあったが、自分の中にある滞在型の総合的な施設で働いてみたいという気持ちは押さえようがなくなっていた。

東京を離れ、伊豆での新しい暮らしが始まった。

北国で育った私たちには伊豆のうっそうとした緑は新鮮だった。

東京の治療院にいるときはどこかで仕事として割り切って働いていたが、伊豆での仕事は自分の関心のあることだったので、毎日張り切ってやっていた。

ただ、思い入れがあるぶんだけしばらくすると理想と現実のギャップを感じるようになってきた。

ゲストにもっと喜んでもらうための仕事よりも事務仕事の方に追われているような感じだった。

そんな中で仕事をしているうちに自分で独立してやってみたい。

自分の力を出し切ってのびのびと思うようにやってみたいといつも思うようになってきた。

そんなときに日経新聞の取材が来て新聞に記事が載ることになった。

この反響がものすごいものだった。

その時にみんなこんな施設を求めている、ただその受け皿になるような普通の人が違和感なくいける施設がないだけなんだと確信した。

そう思うともう自分でやりたいと思う気持ちは抑えきれなくなっていた。





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最終更新日  2005.01.07 11:25:43
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