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2010年12月24日
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正義ってなんなんだろうか。


立場が変われば、正義も変わる。



法律だって人間が作ったものだし、そもそもその作った人間だって間違いを犯す。


多数決とかして個人のリスクを分散しているだけで、その多数決だって
全会一致ということではないと思う。


人が違えば考え方は全く違う。




裁判員制度だってそうだ。







最低限守らなければならない法律。

だけど、その法律がもし間違っていたら?


本当はもっと改善できるはずなのに、役人が見て見ぬふり、というか気がついていなかったら?


より多くの人が救えるはずだ。



『我々は正義の味方です。』



本当なのだろうか。






ヒーローショーじゃあるまいし。







清く正しくするために、多くの人が一斉に犠牲になるのか、



辛いけど、みんなそれぞれ我慢をしてこの窮地を乗り切るのか。




立場が変わればどっちがいいのかなんてやっぱり違うんだけど、



私は後者を選ぶ。




確かに今も苦しい。





だけどさ、『清く正しく、我々は正義なんだから従いなさい。味方ですよ。』




みたいな顔をして、本当に我々を守ったつもりになっているのか。
その『清く正しく』ってやつを行ったばっかりに
多くの犠牲が出た場合に、犠牲になった人たちをどうやって立て直すんだ。




一方だけの物差しでしか物を考えられないというのはとても気の毒だ。


『正してやった!!』



という自己満足でしょう?それは。








私はただ、平凡に生きたいだけなのに。













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最終更新日  2010年12月24日 12時34分55秒



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