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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。
2017年03月23日
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カテゴリ:学一般
(14)「発展の論理構造」を文字として捉えるのではなく、像として主体的に描いていく必要がある

 本稿は『学城』第14号の感想を認めることによって、特に全体を貫くテーマである「発展の論理構造」という観点から、この第14号の中身を主体的に自分の実力とすることを目的として、これまで第14号に掲載されている12本の論文を取り上げ、その要約を行い、学ぶべき点を明かにしてきたものである。

 ここで、第14号全体を貫くテーマである「発展の論理構造」ということの中身を中心に、これまでの展開を振り返っておきたい。

 連載第2回で取り上げた瀨江論文では、「発展の論理構造」は「新しい弁証法の構造」であると述べられ、動く遺伝子の構造が説かれていた。また、「発展の論理構造」は生命の歴史から学ぶべきものであることも強調されていた。

 「発展の論理構造」を把握するためには、弁証法の理解が必要だという観点から展開されていたのは、連載第4回に扱った神庭論文であった。ここでは、弁証法的なものの見方・考え方が看護の実例を通して説かれていたのであった。同じ事例を繰り返し別の観点から説いているというのは「量質転化」的な説き方であることも指摘しておいた。連載第7回の瀨江論文では、治療論を医学体系の全体像の中で把握すること、また治療論と病態論を対立物の統一として捉えることの重要性が説かれていたし、連載第11回の朝霧論文に関しては、「素直さ」が自分を否定し指導者に二重化するという意味で「否定の否定」になることを説いておいた。

 「発展の論理構造」を生命の歴史から学ぶ必要があることも、随所に説かれていた。連載第5回で取り上げた悠季論文では、アリストテレスの認識が論理的な像を形成し始める際の過程が生命の歴史を媒介として説かれていたし、連載第9回の症例検討論文では、呼吸とは何かという把握が生命の歴史を学ぶことで大きな発展を遂げたことが述べられていた。連載第12回で扱った橘論文では、生命の歴史から武道空手上達のための論理が導かれていた。すなわち、黒帯になっても白帯の鍛錬から辿り返していく必要があること、またある段階で完璧にできあがってしてしまうような修練の仕方をしてはならないことであった。

 「発展の論理構造」は原点からの辿り返しだという内容に関しては、他にも連載第3回の北條論文で説かれていた。武道空手の修練としては、初めは骨体力などの養成から始めなければならないこと、上達した段階でも常に基本技のチェックを行ってはならないことが説かれていた。また、連載第6回の北嶋・志垣論文においても、人間の個体発生においては前の段階を自らの実力と化しつつ発展していくことが説かれていたし、連載第8回の新・医学教育概論では、医師の実力養成のためには何が必要かについて、そのためには、そのためにはという形で原点にまで遡って考察されていた。連載第10回の法医学原論では、それぞれの専門分野の発展のためにはその原点を歴史的に辿り、踏まえることで一般論を確立する必要があることが説かれていた。

 そして最後に、連載第13回で取り上げた南郷論文では、学問発展のための土台としての一般教養の学びの重要性が説かれ、それぞれの専門分野の個別学問の発展のためには学問一般たる哲学の発展との相互規定的相互浸透が必要であることを説いておいた。また、これは連載第5回の悠季論文を扱った際にも触れたが、自分かかつて執筆した論文の内実を自らの実力として常識化しておく必要があることも説いておいた。さらに重要なこととして、「発展の論理構造」を対象の性質として客観的に受け止めるのではなくて、自らの頭脳活動を発展させるためにこそ学ぶのだという主体的な把握が必要だということも説いた。

 以上、今回第14号を読み、その内容を主体的に把握するために、「発展の論理構造」をテーマとしてこれまで説いてきた流れを振り返っておいた。端的にいえば「発展の論理構造」とは、対象の持つ弁証法的な性質であって、生命の歴史に学ぶことによって、あらゆる物事の発展の一般的なあり方を掴み取ることができるのだといえるだろう。その基本的な性質は、前段階のあり方に上書きする形で変化していくという構造を持っているのである。

 ここで重要なことを指摘しておきたい。それは「発展の論理構造」を、弁証法だの生命の歴史だの原点からの辿り返しだのという文字で把握するだけではダメだということである。このことに関しては、「人類の遺伝子が把持している重層構造」(p.169)の内実を分かっていくとはどういうことかが以下のように説かれていることをしっかりと踏まえる必要があろう。

「しかしこれを「文字」で追うだけでは理解とは程遠く、それどころかまったく意味がない。そうではなく、自分自身で筋道にそった頭脳活動としての自身の思い、思惟レベルでの像をまずはそれなりにでも描く努力をし続けなければ、いつまでたっても本当の理解はできてはいかないものである。」(同上)


 つまり、文字を文字として把握するのではなくて、その文字が表す中身について、像として描けるような努力をしていく必要があるということである。このことはもちろん、「発展の論理構造」という文字についても当てはまるのであって、それがどういうことか、しっかりと像としてイメージし続けていく必要があるのである。

 さらに改めて確認しておきたいことは、学びにおける主体性ということである。先にも少しふれたが、「発展の論理構造」をある対象に関する性質であるとして、自分から切り離した存在として把握していてはダメであって、あくまでも自分の頭脳活動を発展させるための構造として把握し学んでいく必要があるのである。この主体性という問題は、当然、認識論を学ぶ際にも、弁証法を学ぶ際にも、いのちの歴史を学ぶ際にも必要になってくる。認識論に関しては、前回、このブログにかつて掲載した論文「認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想」の中で説いていることを紹介したが、弁証法については、自分の頭脳を弁証法的にすることで、世界のすべてを弁証法的に把握できるようになるために学ぶのであって、生命の歴史についても、自分と関係のないかつての生命体の発展史だなどと考えるのではなくて、他でもない自分自身がどのような発展の歴史を背負っているのかを把握し、自分の生き方を生命の歴史の延長線上にある世界歴史、人類の歴史に重ねて発展させていくためにこそ学ぶのである。では例えば筆者の専門分野である言語はどうか。これも単なる対象として、自分の他にある存在として捉えるのではなくて、あくまでも自分の認識を発展させるべく研鑽し、その結果描いた像を何としても表現するのだ、社会化するのだという必死の過程を経て創出されるものだというように、主体的に捉えていく必要があるのではないか。

 さて、以上の中身を端的にいえば、『学城』第14号から学ぶべきことは、「発展の論理構造」を文字として捉えるのではなく、像として主体的に描いていくための学びが必須であるということではないだろうか。自らの頭脳活動を発展させ、それぞれの専門分野の学問を創出していくためには、どうしても認識をどのようにすれば発展させられるかの論理構造をしっかりとつかんでおく必要があるのである。そのための学びの指針が、第14号全体にわたって説かれていると捉え、引き続き学んでいく必要があるということだろう。「発展の論理構造」を像として描くという点に関していえば、「正規分布図」(p.174)のイメージが大きなヒントになりそうである。主体的な学びという点についていえば、自らの大志をどのように見事に描くかということにかかってくることであろう。いずれにしても、「発展の論理構造」を正しく捉え、集団力を駆使しつつ学問の構築を図っていくという我々京都弁証法認識論研究会の使命を確認して、本稿を終えたいと思う。

(了)





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最終更新日  2017年03月23日 06時00分13秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。
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