鎮魂・・・・ノー・モア・ヒロシマ・・・・・
またあの日を迎えた・・・・私がまだ幼かった頃・・・・・セミの声が聞こえはじめると、決まって誰からともなく話がはじまった。『ありゃぁひどかったよのぉ・・・・』『○○も今年死んだで・・・・。どんどん少なくなるのぉ、生き証人が・・・・』その恐ろしい話は、とどまることはなかった・・・・閃光・爆音・風・・・・そして黒い雨・・・・・一瞬のうちにすべたが終わり、この世の物とは思えない地獄絵が展開した。それが黒焦げの死体だとわかった時の驚き・・・・見回すとあたり一面に・・・・・焼溶けた皮膚を引きずり、水を求めて川に向かう人々の群れ・・・その川に浮かぶのは無数の遺体・・・・・てんこ盛りの負傷者を田舎に運ぶ列車・・・・・息絶えた人は山のようにうず高く積まれ、野焼きに・・・・赤子を背負い救助にあたる・・・・・つける薬も、傷を覆う布さえない・・・・背でなくわが子と同じくらいの年頃か・・・・体中から膿がしみだし、ウジがわく・・・・ウジをほじりとり、包帯代わりの手ぬぐいを川に洗いに行く・・・名も知らぬ幼子は、帰りを待たず息絶えた・・・・抜け落ちる髪の毛、血便、吐血・・・・・次々と死んでゆく人々・・・・ピカドンの恐怖は続いた・・・・ひきっつったままの酷いケロイド・・・・日常さ万事だった・・・・・夏のヒロシマでは・・・・58年を迎えた今・・・・・ケロイドを残す人もめったに見かけない・・・・・このそら恐ろしい体験を語れる人も、めっきり少なくなった。父も原爆症でなくなった・・・・母も原爆症と認定され病床にある。被爆2世・・・・・私達が語り継がなくてはいけない時代になってきたことをひしひしと感じる・・・・・ノー・モア・ヒロシマ・・・・・・世界が平和でありますように・・・・・