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ゆりんいたりあ日記

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ゆりんいたりあ

ゆりんいたりあ

2022.05.05
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カテゴリ:アート!
さて、ニキはパリ郊外のニュイリー シュル セーヌで
1930年生まれ。
お父さんは古い貴族の血をひくフランス人で、兄弟でNYの
銀行を経営していたが、大不況で経営が困難になっていた
時期にフランスに帰り、たち直しを試みていた時代に彼女が
生まれたようだ。
お母さんはフランス人とアメリカ人実業家の娘。

興味がある方は、ウイキの日本語版が非常に詳しいので、
良かったら参考に。

その後、ニキはNYで家族と暮らし、聖心系列の修道院で教育
を受ける。伝統的な家族や教育と、彼女の夢の葛藤でニキは
かなり悩んだらしい。

1948年から絵を描き始める。作家で音楽家の幼馴染であった
ハリー マチュウと結婚し、二人の子供ラウラとフィリップを
もうける。
一家はヨーロッパに住居を移し、特にパリ、ニース、マヨルカ島
で暮らす。
ニキは17歳の時からモデルを仕事をしていた。
バルセロナでガウデイのグエル公園に出会ったことが、彼女の
芸術に大きな影響を与えた。

1960年からスイスのアーチストであるジャン タングエリーと
共同で仕事を始める。(のちに2番目の夫となる)

1965年NYやパリで彼女の最初の作品になるナナ(太ったカラフル
な楽しそうな女性像だが、実は彼女の乳母がモデルとなっていて
ニキの理想である、強くて解放的な女性像を表現している)

1979年から1996年にかけてトスカーナ南部マレンマのガラヴィッキオに
タロットガーデン制作。
これはウイキに依れば、彼女が神経衰弱で入院していたスイスの
サンモリッツで出会ったジャンニ アニェッリの奥さんの兄弟が
持っていた土地を使うことが出来たとか。

庭園内には、タロットカードの中でも22の重要なアルカナカードを
象徴する彫刻が、セメントにモザイクや鏡、陶器、色ガラスで装飾
されて置かれている。

1980年から86年にかけては、タングエリーと共同で、パリの
ポンピドゥーセンター傍にストラヴィンスキー噴水を制作。
この時期、タロットガーデンの資金作りに香水を制作し、販売。

1994年健康上の問題のため、カリフォルニアに移住。
さまざまな制作を続ける。
2002年5月21日カリフォルニアのラホイヤで亡くなる。

無利益のニキ慈善アート財団が発足。





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Last updated  2022.05.05 00:00:09
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