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ビルマの古都、マンダレーから重要基地のラシオ、次に国境の町、ワンチンを経て遠く昆明に通ずる旧援蒋ルートは重畳たる山岳難路の連続だが、先ず有名なゴクテーク の木橋に差し掛かる。千尋の谷底から遥か天空に向かって、総べて木材で橋脚等を積み上げた狭く細い一本の線路をガタガタ揺れながら木炭車が頼りなげに走る。下を覗けば目は眩み脚は竦む。これぞ地獄への架け橋、薄氷を踏む思い。敵機の来襲も激しいが単なる脅しの積もりか、破壊にまでは及ばない。これを破壊した場合の再築至難が、敵味方共に充分に了解されていたのであろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
物凄い臨場感がありますね。
こんなに折れそうな足長の橋脚が木材とは、お話を想像するだけで気を失いそうです。 「これを破壊した場合の再築至難が、敵味方共に充分に了解されていたのであろうか」・・・笑ってはいけない所ですが思わず笑ってしまいました。すみません。 実物を知らない私ですけれど、このスケッチを見て想像できることを言わせて貰えるなら、 多分、人間であれば誰しも破壊は避けたい重要且つ貴重な建築物だったのではないでしょうか。 そういう風にこのスケッチを通して感じます。 (2009/03/28 07:52:33 PM)
これが千仞の谷ゴクテークの木橋ですか、凄い木橋ですね。これでよく鉄の線路を支え、その上を汽車が走るものだとただただ驚きです。兵庫県にも山陰線に餘部の鉄橋と言う、車内アナウンスがあるくらい恐らく日本一高い鉄橋がありますが、それでも鉄で組み立てられていますので、凄く高いけれども危険を感じることはありません。しかしこの木橋はぐらぐら揺れるのではないかと思われます。これを作ることの出来たのは恐らく中国の人でしょう。今でこそ高層の建物の建築には近代的な鉄の足場が組まれるでしょうが、開放間もない頃の中国では、その建築中の足場に長い竹材が複雑に組まれて高いところの作業が行なわれていて驚いたことがあります。それと考え合わせるとこれだけの木橋を作る技術は中国人の得意とするところではないかと思うからです。それにしても驚くべき芸術作品ですね。
(2009/03/29 10:17:35 PM)
deco7さん
わざわざコメント頂戴して恐縮しております。私の雑文、拙画の励みになり心強く感謝します。貴女のブログも拝見しましたが、繊細な観察眼に敬服します。 (2009/03/30 12:48:33 PM)
たかとしさん
>毎度細かいコメント有難うございます。言われる通りこれは一つの芸術品でしょうが、あの万里長城を考えると、あんな橋ぐらいは、中国人にとっては「お茶のこ、サイサイ」だったに違いありません。現在はどうなっているのか知りたいものです。 (2009/03/30 12:58:17 PM)
私の遠い親戚が、ゴクテーク橋梁の列車脱線事故で戦傷死しております。昭和19年のことでした。こんな気の遠くなりそうな橋だったのですね。凄まじい臨場感です。
(2021/10/15 09:23:30 PM)
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