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一部、長期間、ブログの更新がなかったので、心配をして下さった方もおり、
ご心配をおかけしたことを、心よりお詫びいたします。 諸事情により、なかなか、更新できませんでした。 申し訳ありません。 しかし、今回、今まで調査・研究、考察してきたことを、少し書いてみたいと思います。 1.店内での行動について 被害者の方たちは、おそらく、コンビニやスーパーなどの店内で、付き纏い行為や、わざと、見張っているような店内での携帯使用や、手に取った物や買い物カゴを覗き込み、何を買ったか、確認してくるような行為や、わざと、見張であることをアピールするような棚の前での長時間居座り行為、などの、ストーカー行為を受けているものと思います。 また、店内や入口に携帯をしている集団ストーカーがいて、被害者の行動を連絡して、例えば、お店を出るタイミングで、前を、緊急車両が通過するという工作をしてくるとか。 こんな時、みなさんは、どうしていますか? 例えば、棚に居座りがいたら、その棚へ行くのをしばらく止めて、様子を見て、いなくなったら、行くことにしているとかという方とか また、買い物の覗きこみにあったら、カゴの中をその人に見えないように急に反対側に動かすとか。 すぐに、その場を立ち去るとか、その人に背を向けて見えないようにするとか。 また、集団ストーカーと思われる人がいたら、わざと、その人の後ろ側に回るとか、 わざと、すぐに位置を移動して、背中側に移動するとか 集団ストーカーと思われる人が近づいてきたら、すぐに、移動するとか。 おそらく、多かれ少なかれ、そういう対応をしてしまっていることもあるかと思います。 確かに、嫌なことですし、そういう行動をしてしまうのも仕方のないことだと思います。 ただし、それは、対処療法としては、効果がありますし、実際に回避する手段としては、効果があるかもしれません。 ただし、それに関しましては、別な視点も必要かと思います。 というのは、集団ストーカーの組織構成員は、地域防犯員などの役職をしていることも多いと言われています。 被害者が、店内へ入ると、例えば、店側に対して、「~地域の防犯員をしているものですが、今、こうこうこういう人が入っていきましたが、その人は、万引きの常習犯ですので、気をつけてください。」との連絡をすることが多いと考えられています。 その場合、上記で書いたような対処・回避策・行動をしていると、逆に、万引き犯や不審者に見えてしまう可能性があり、それを狙ったストーカー組織の思うつぼになってしまっている可能性があるということです。 つまり、どういうことかといいますと、ストーカー組織は、被害者が、お店で、買い物をすること自体を妨害したり、ストレスに感ずるようにすることが目的なので、事情を知らず、ストーカー組織から、ウソの通報を受けたお店側や私服警備員は、被害者の行動を観察すると、通報通りの不審な行動をしている人になってしまうということです。 そうすると、いかにも、そのストーカー組織のウソの通報が、正しかったかのような誤解を店員や私服警備員に与えてしまう結果になってしまい、私服警備員や店員たちが、被害者を通報通りに警戒するような行動をとってしまうことにつながってしまいます。 その店員たちや私服警備員にも、被害者を警戒させるということも、狙っている為に、被害者にとっては、そのお店の店員たちや私服警備員もストーカー組織の構成員に見えてしまいます。 (実際には、店員や私服警備員も集団ストーカーの構成員であり、グルである場合もある) それらの両面の工作により、集団ストーカーの組織は、被害者が、お店に行けない様にしてしまいます。 あるいは、行きづらいようにしてしまいます。 そうすると、被害者は、生活習慣の一部を崩される結果になり、出不精な状態に誘導されてしまいます。 そうすることで、傍目にも、被害者が、精神的に問題がありそうなひとになってしまいます。 さらに、出かけることを躊躇するようになると、不健康にもなってしまう。 また、どうしても、出掛ける必要がある時に、あまり、集団ストーカーの存在を意識し過ぎ、必死に、回避策や対応をすると、 それは、事前に、集団ストーカー組織が、その地域周辺に「被害者は、異常者である」というデマの情報を流していることと一致してしまい。地域の住民からの印象も、不審者に見られるようになってしまいます。 その結果、被害者にとって、本来、集団ストーカーの加害者ではない住民も集団ストーカーの加害者に見えてしまうということです。そのように見えてしまうということも工作の目的にしているからなのです。 それら、両面の状況を誘導することも集団ストーカー組織の目的なのです。 従って、店内での集団ストーカーへの対処には、二面性があるということを理解した上で行動する必要があるということです。 店内で、極端に、他人に大きな反応をしてしまうと、不審者になってしまうし、 かと言って、何も対応しないと、買ったものなどを見られて、その製品の入荷停止などの工作をされてしまうことになる。また、事前に工作で、売り切れるなどの工作を誘導する可能性もある。 そこで、それらの効果を考察してみる必要がある。 例えば、買ったものを見られて、その製品がなくなっても、別に、最悪、別なものを買えばいい。 確かに、一番好きだったものは、なくなるかも知れない。しかし、それで、死ぬことはない。 開き直ることや諦めることも必要になるかもしれない。 しかし、必ず、別な製品があるので、変えればよい。 さらに、こだわらなければ、何でもよい。 また、店内や入口付近にいて携帯をしている集団ストーカーがいて、店を出る時に、前を緊急車両を通過させるという工作をしてくる可能性がある。 でも、それだって、よく考えてみると、目の前を、緊急車両が通過したからって、死ぬわけではない。 それだって、開き直れば、別にたいしたことではない。 何回、遭遇しても、死ぬことは絶対にない。 だったら、逆に、どうでもいいことではないか? まあ、そう簡単ではないことはわかっている。 それで、自殺する人もいるくらいなので、異常な頻度の遭遇は、かなりのストレスやトラウマになる可能性もある。 もし、開き直りができない人であれば、回避した方が、ストレスが和らぐなら、回避するのも止むを得ないと判断できる。 一方、回避措置や対応した場合、お店では、ずっと、不審者に見られてしまうことや常に店員に警戒されてしまう結果になるということや被害者側も逆に店員や私服警備員にも警戒しなければならなくなり本来、楽しみのはずの、買い物が、非常に苦痛になってしまい行かなくなってしまう可能性すらある。 それでは、集団ストーカーの思う壺であり、生活パターンを破壊されてしまう結果になる。 また、そうなると、外出を極力減らすなどの対応をしてしまい。 逆に、たまに外出した時に、加害行為を集中されてしまい、かえって、精神へのダメージが大きくなってしまう可能性もあるのだ。 だから、考え方にもよるが、買った物を見られたからとか、集団ストーカーの見張りがいるからと言って、対応することが、良い効果を生むというわけではない。 だから、そういう工作があった場合、通常とは、異なった回避行動をしたとしても、良い結果を生むわけではないということだ。逆に、生活妨害の影響を、自ら作り出してしまう可能性すらあるということだ。 一概には、言えないが、回避策や対応がよいとは、限らないということだ。 一方、買い物を見られようが、店内で、携帯で、電話をして、工作で、出る時に、緊急車両を遭遇させてくるかもしれなが、そういう集団ストーカーたちがいないように、自然体で、行動してみたら、どうなるかだ。 まず、普通に、行動すると、逆に、店側にデマの警戒情報を流した地域防犯員などの通報の信憑性がなくなり、しいては、防犯員たちの情報の信頼性も疑わしいと思われる可能性もある。 それに、例え、集団ストーカーと思われる人間がいても、普通に自然体で、行動するするので、常に、何ら、制限を受けることもなく、買い物をすることができ、自ら、行動を制限するようなこともなくなる。 その方が、外出の頻度も多くなり、加害工作も分散し、被害が軽くなる可能性もある。 そうすることで、本来の自分の生活と生き方をすることができる。 どうだろうか? いちいち回避や対応するか、自然体で行動するか?どちらが得策だろうか? 確かに、置かれている状況や受けている行為が、必ずしも、同じではないので、一概には、言えないが。 どちらが、得策か?被害者各自が、自ら十分に検討・考察してみる必要があるのではないだろうか? もちろん、人によっては、面倒な回避行動をした方がストレスやダメージが軽減されると感じた場合は、回避行動をとった方がよい場合もある。 ただ、その人の場合も、自然体で、開き直って、回避行動をしない場合の実験もしてみて、ストレスなどを比較してみた方がよいと思う。 ただし、もちろん、危険な場合など、どうしても回避行動をとらざるを得ないこともあるとは思うが、 それは、普通の人の場合でも、全く同じだと考えられる。 次は、できれば、ブログを書くメリット・デメリットについて考察してみたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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