昨日のスイム、
何も考えず、
体調だけで泳いだにも関わらず、
今朝起きたら、だるいことだるいこと、
なんとなく、泳げてしまうと言うのは、
果たして、幸いなのか、不幸なのか、
イヤイヤ、ココまでの回復に加え、
体の調子に合わせて泳げると言うのは、
幸いと呼ばずして、何か?
実に感謝なことだろう(と思う)、
今日は、例のオリンピックテロネタで、
いくつかサイト見たが、あるわあるわ、
*現在、ペルシャ湾に2隻のオンボロ空母が展開しているが、1隻はエンタープライズ、
あちらの情報によれば、真珠湾と同じパターンだと、
即ち、スクラップ費用の削減で、古い戦艦を配置するのが、戦時の常、
特に原子炉を複数積んでいるため、これが湾内に沈めば、願ったりかなったりなのだとか、
とか言う、又、ドーデもいい情報が出てくるので、
見なければいいものを、ついつい見てしまい、
またまた疲れが重なる、
で、夕方、ジムで、昨日と同じ、
からだに貞くスイムでリラックス、
帰ってきて、先ほど、心を休めるべく、
寝転んで、3回目の「からだに貞く」の読書、
すると、最後のページ近くに、
またまた心ときめく文章が、
もう、何回も出てきているが、
読むたびに、納得、
文字起こししようかとも思ったが、
面倒なので、貼り付け、
筋肉は意識で動くようにはできていない、
イメージによって、自動的に動くのだ、
随意筋、不随意筋という名称のいかがわしさよ!(そんなものは最初からないのだ、)
体を、(意識によって)訓練すると言う傲慢な発想をやめよ!
体に貞け、
上記をまとめると、
体は、イメージによって自動的に動く、
よって、自身の責任は、
その動きが滑らかになるように、
準備しておくこと、かと、
そのイメージだが、
野口さん自身は、 そのイメージが何かを述べていない、
*”からだの神”という表現を用いているだけ、
が、これ、個人的には、
先週から、さまざまな思いがきている、
実際、歩く時、泳ぐ時、
ダラッとしている時、寝る時、
イロイロな場面で、(意識を排除する意味で、)
なるべく、思い出すようにしている、
(その実態はボンヤリしているけど、)
で先ほど、思い浮かんだのは、
これって、実は、そのまま、
新生体験を表しているのではないだろうかと、
ヨハネ3:1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。
3:2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」
3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
3:4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」
3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
意識に任せないとは、
自我に任せないと言うこと、
*これまで意識で生きてきた人はピンと来ないかもしれない、丁度、ニコデモのように、
イメージに任せるとは、
神が人に与えた本来のいのち(霊魂)に任せること、
*イメージに任せると簡単に言うが、その理解は易しくないと思う、 具体性が何もないのだから、
いわんや、霊魂!?
これを野口さんは、(聖書を読んだわけでもなく、)
ただ、(体の)神に貞くことから、
独自に見出だしたというなら、これはスゴイわ!?
と言うか、神が野口さんを気に入ってくれて、
啓示してくれたのかもしれないな、