本日9回目の矯正、頚椎を含め背骨は意外と自分でメンテできることが判明の続きで、)
今日の午後、自由が丘へ、
オレ:イヤー、先週は大変でした、
で、足底筋膜の痛みから、
歩きづらくなり、
腓骨筋、脛骨筋、アキレス腱にも、
痛み・腫れが出たことを説明したところ、
先生:それは、たいしたことじゃないです、
あれだけ、
(仙骨が)動いているんですから、
坐骨神経の回復途上の、
一幕に過ぎませんよ、
足底筋は、末端ですし、
いろいろ出るでしょう、
と、あっさり、かわされてしまい、
拍子抜け!?
オレ:ハー、
その後、一通り、矯正したところで、
最後に、これを紹介された、
シンポジウム2015
先生:日野(背骨コンの代表者)がプレスリーが好きでね、普段の服装まで、プレスリーです(笑)、
オレ:プレスリーですか、
この案内見たら、
背骨のシンポジウムより、ロックコンサートでは?
先生:どちらかと言うと、シンポジウムにかこつけて、
日野が、自分の演奏を披露せんがための、
とこも、確かにあります(笑)、
オレ:彼、ロックバンド組んでいるんですね、
先生:ソーです、オレ:ひょっとして、日野さん、
プレスリーの演奏が本業で、
背骨の矯正はアルバイトだったり、
先生:当たらずも遠からずで、
と、コンサートシンポジウムの宣伝を聞かされて、
その場を後にした、今日の矯正だったが、
左の足底筋の痛みは、
依然、残っているものの、
”回復途上の一幕”、
と言う言葉に、すっかり癒された、
で、そのプレスリー、
Wikiで見てみると、
エルヴィス・アーロン・プレスリー
(Elvis Aron Presley, 1935年1月8日 - 1977年8月16日)
保守的な大人たちは「ロックは若者を悪くする(非行にさせる)」と考えプレスリーの音楽を禁止し弾圧運動を展開していったが、それを跳ね返すかのように若者たちの間でさらにブームは拡大していった。
これによって多くの人々が初めてロックンロールに触れ、ロックンロールは一気にメジャーなものとなった。また、いままで音楽を聞かなかった若年層(特に若い女性)が、音楽を積極的に聞くようになった。
さらに、音楽だけでなくファッションや髪型などの流行も若者たちの間に芽生え、若者文化が台頭した。後にビートルズがアメリカに上陸するまで、プレスリーはアメリカの音楽業界の第一線に君臨した。
1977年8月16日、自宅であるグレースランドにて42歳で突然死した。
彼の歌は、
確かに迫力があるな、
日野さんがとりこになるのも、
わからないではない、
しかし、42歳かよ、
(先日のパスカルもソーだったが、)
社会的にすばらしい影響を与えてくれる有名人は、
ドーして、かくも短命なのか?
あのマイケルジャクソン然り、
ドーも、オレ的に、
裏があるような気がしてならない、
マッ、それはソーと、
プレスリーの熱い曲を聴くと、
なんとなくだが、
ハードロックカフェに行って、
プレスリーの曲の演奏を聴くのも、
まんざらでもないのかと思えてきた、
しかも、
プレスリーの嗜好の解説で、
「ピーナッツバターとバナナのサンドイッチ」が大好きで、
毎日のように食べていた。
ここは、
自分が食後のデザートで摂る、
トーストサンドイッチ(イチゴジャム+バナナ)、
とだいたい一緒だし、
導きかもしれない、
(トカナントカ、)