(体調悪いながら、これだけは書いて置かないと忘れるので、)
昨日、駅前のスーパーでのこと、
レジを済ませ、白菜と、レタスを袋に入れていたら、
話声が聞こえてきた、
すぐそばのベンチで、
2人のおばさん(おばあさん)A・Bが、
かなりのテンションで会話している、
おそらく80過ぎと思われ、
A:B29がやってきて、全部焼いちゃったんだよ、
29はね、焼夷弾を使ったんだよ、
B:焼夷弾ーー、
A:私はね、長岡にいたんだよ、
みんな、防空壕に行けと言われていたけど、
私は入らなかった、
最初、押入れの中にいたんだけど、
誰かがね、別のところに連れて行ってくれた、
あの時、防空壕にいたら、今の私はなかった、
B:ウーン、
A:最初は軍関係を狙っているかと思ったら、民間人なんだよ、
イソロクの生家は瀟洒な造りだったけど、全部なくなっていた、
B:ウーン、
ここまで、
もっと聴いていたかったが、
レタスと白菜を袋に詰めている間の出来事ゆえ、
袋詰め(かなりゆっくり)を終え次第、
後ろ髪を引かれる思いで、出てきた、
2-3分の会話に情報が凝縮、
まず長岡、(Wikiから)
1945年8月1日にアメリカ軍が日本全国の都市に投下した伝単。
左側に「高岡」の文字がある。
ナルホド、爆撃予告されていたわけだ、
と、イソロクって、あのイソロクか?
(Wiki山本五十六)抜粋、
1884年(明治17年)4月4日、新潟県古志郡長岡本町玉蔵院町(現在の長岡市坂之上町3丁目付近)で、旧越後長岡藩士・高野貞吉の六男として生まれる。当時の父親の年齢から「五十六」と名付けられた。母親も45歳と高齢だった。息子の山本義正によれば、少年時代の山本は米国宣教師の元で聖書の勉強をしたことがあるという。
1919年(大正8年)4月5日にアメリカに駐在を拝命、ハーバード大学に留学した(~1921年5月5日)。
長岡空襲(1945/8/1)は、山本の故郷という理由で行われた。TVで米国マスコミ取材に当時の軍関係者が、山本五十六の故郷だから国民の戦意喪失のために空襲をしたと語っている。
フーン、長岡がイソロクの故郷だったとはーー、
とりあえずここまで、
ドーにもコーにも、たまたまの買い物で、
長岡空襲で生きながらえたおばあさんから、
レジ袋詰めの間に、これだけ聴けたのは貴重、
記念と言うか、無理やりカキコ、
*カキコとは「書き込み」の略、
追記)
長岡が空襲された理由は、
国民の戦意喪失なんかじゃあるまい、
彼の生家を破壊することだけが理由、
即ち、証拠隠滅だろう、
ここまで、徹底させたと言うことは、確定だな、
-->レオザガミの提言、真珠湾攻撃の真相から(その2)