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テーマ:本日の1冊(3684)
カテゴリ:読書(ノンフィクション)
『下流社会』光文社新書 三浦展この本売れているらしい。 日本人はその時々の世相を敏感に感じ取り、それを一言で表現してくれる言葉が大すきだ。しかし、その言葉とは果たしてその時々の時代を正確に反映したものなのだろうか。「一億総懺悔」という言葉で、天皇をはじめ政財界の責任を問われていない層を残してしまったことが、戦後の「平和と民主主義」にどれだけの害悪を残してしまったか。「総中流時代」本当の中流とは家にプールがあるような家庭なのに、小さな箱庭のような家か、それがなくても三種の神機さえ持てば、中流だと思い込んでいた勤労大衆がいかに多かったか。 「新たな階層集団の出現」という言葉を人々は簡単に受け入れようとしていないか。 「『下流』とは単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得があがらず、未婚のままである確率も高い。」と三浦展氏は言う。 本の中のいくつかは『その通りだなあ』と思うこともある。マーケティングデータを元に書いてあるのだから当たり前である。ところが注意深く読むと、三浦氏は少しずつ論旨をずらして書いて全体的な印象を一定方向に誘導しているように思える。「下流になりたくなかったら成果主義を認め(P112)若いうちは親元にいてその後は結婚して夫婦だけで暮らし、子供ができたら親元に住み(P134)恋愛結婚は否定し(P153)「自分らしさ」や「自己実現」は我慢をし(P172)まじめに働く(P264)」そんな世の中をどうやら筆者は『下流ではない社会』だとイメージしているみたいである。 そこにはこういう社会をつくってきたものはなんであるかという分析はない。 一番最初の『下流診断テスト』で私は正真正銘の『下流』であった。けれども人生への意欲はいびつな形だけども充分あると思っている。『その結果として所得があがらない』のであれば、あがらない原因は『意欲』などではなくて、別に求めるべきだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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