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30日付け朝日新聞のシリーズ「ニッポン人脈記柔道のこころ」の最終回はシドニー五輪100キロ超級決勝で「誤審」に負けた篠原信一とフランスのダビド・ドイエだった。
私もまざまざとあの瞬間を覚えている。篠原の内股すかしが決まった。ドイエが背中から落ちた。私は「決まったか?金メダルだ。」とすぐに思った。しかしなんとドイエの方に有効のポイントがついている。審判の間違いか?そのうちに時間が迫る。ドイエに金メダルが行った。学生時代6年間柔道をした私にとっては悪夢の瞬間だった。 篠原は公には「自分の一本だと思って気持ちを切り替えられなかった。心が弱かったから負けた」と言っている。ドイエも公式のメダリストである以上、この記事の中でも負けを認めていない。けれどももドイエは尊敬する柔道家山下康裕に「わだかまりを解きたい」と手紙を書く。シドニーの半年後、来日するが、篠原には遠慮して遠くで試合を見ただけだった。 直接話をしたのはその三ヵ月後、ミュンヘン世界選手権の練習会場で「さりげなく」話をする。握手をする。「試合はこれで最後にしたい」と篠原。いちはやく引退していたドイエは「気持ちは分かるよ」。二年後会ったときには、笑顔でがっちり握手をした。 これは、個人と個人はそのように和解が出来る、という一つの例えである。それでもドイエは自分が負けたとは言わない(「篠原さんの方が柔道家として上です」とは言っている)。 同じ日の新聞に「ローマ法王、アウシュビッツ訪問」という記事があった。ドイツ人法王ベネディクト16世は「ここへ来ることは前法王の後継者として、ドイツ人として義務だ」と述べ、ホロコーストの犠牲になったユダヤ人らに祈りを捧げたらしい。そこでどんなことが行われ、どんな発言があったのかは全貌はわからない。法王は言葉では謝らなかったのかもしれない。しかし、自ら特訓したポーランド語とイタリア語でミサを行い、極力ドイツ語の使用を避けたその態度に地元のユダヤ人社会も好意的だという。 世界は60年以上前どのようなことが起きたのか、まだ忘れてはいないし、少なくとも一つの団体の長は「誠実」な態度をとっている。日本の政治家は中国、韓国、北朝鮮、アジア諸国にそういう態度はとってきただろうか?安倍とかいう男はそういう態度をとれる人間だろうか?個人と個人の和解でさえ、非常に難しいというのに。 日本という国が心配でたまらない。いつも、いつまでも、東の海の彼方の国の方向しか向いていない日本が。 今年のカンヌ受賞作が決まった。パルムドールはケン・ローチ監督の「ザ・ウインド・ザット・シェークス・ザ・バレー」。アイルランド独立戦争を描く。監督は「独立と干渉、そこに存在する暴力は今日的な問題だ」という。今年のカンヌは奇しくもアカデミー賞と同じく、政治的な作品が揃った。9.11から5年後、世界はやっと語りだした。日本にその気配は未だに無い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月30日 23時31分50秒
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