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テーマ:映画館で観た映画(8350)
カテゴリ:アジア映画(07)
私は嬉しい。
製作国 : 中国=日本=香港=韓国 このような布陣で、戦争と平和をテーマにして、このようなエンターテイメント大作が作られるに至ったこの10数年の動きは、後世アジアの文化史に残ることだろうと思う。 監督・脚本・プロデューサー : ジェイコブ・チャン 音楽 : 川井憲次 原作 : 森秀樹出演 : アンディ・ラウ 、 アン・ソンギ 、 ワン・チーウェン 、 ファン・ビンビン 、 チェ・シウォン 戦国時代。趙と燕の国境にある粱城は、趙によって攻撃されようとしていた。10万の趙軍に対し、梁城の全住民はわずか4000人。頼みの綱は墨家の救援部隊だったが、間に合いそうもなく、粱王は降伏を決断する。墨家の革離(かくり)がたった1人で駆けつけたのは、その直後だった。兵に関する全権を粱王から与えられ、早速城を守る準備に取りかかる革離。趙軍の指揮官・巷淹中は革離を好敵手と見なし、やがて激しい攻撃を開始する。(goo映画情報より) 墨家とはなにか、HPの浅野裕一氏の解説に詳しいが、一言で言えば平和を求める思想家集団であり知識人集団であり、戦術家集団である。中心思想に『兼愛』(万人への愛)と『非攻』(侵略と併合の禁止)を置く。それを支えるために『尚賢』(能力主義の人材登用)や『節用』(節約主義)等『墨家十論』を説く。 今回の物語は、緊急避難的にその中の『非攻』を実現するために『専守防衛』の技術を駆使した攻防戦になった。革離の知恵は優れているので、専守防衛は一時成功したかに見える。しかし結局大事なのは戦術よりも、内政だということなのだろう、革離の理想的な決着は行われない。 映画が終わったときに、多くの観客が納得のいかないような顔をして劇場を後にしていた。残念ながら、『日本人の』万人に受けるような映画にはなっていない。(投降者の虐殺に対する革離の対応が不明等脚本的な不備もある。)けれども、私あの筋立ては正しいと思う。革離はもともと(原作でもそうだが)墨家が見捨てた粱の城を守るために一人でやってきたのだ。その時点で、墨家の理想が行われないことは宿命つけられている。それでも、侵略されれば粱のすべての住民が奴隷になり、あるいは殺され、陵辱されることに我慢がならなかった、いわば民族自決権の擁護のために『可能性』にかけて赴いたのである。革離が初めて迎える実践の中で悩む姿こそを、監督は描きたかったのに違いない。 『兼愛』と(たった一人への)『愛』との葛藤、『非攻』と『専守防衛』との違い、実は非常に考えさせられる映画なのだ。憲法九条を変えろ、とか変えてはいけない、といっている両方にこの映画を見てもらって、議論をするのは非常に有益だと私は思う。 女騎馬隊の隊長を演じたファン・ビンビンのきりりとした顔と女性としての弱さを見せた顔に好感を持った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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