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カテゴリ:邦画(07)
監督 : 塩田明彦
原作 : 手塚治虫 出演 : 妻夫木聡 、 柴咲コウ 、 瑛太 、 原田美枝子 、 中井貴一 、 杉本哲太 、 麻生久美子 、 劇団ひとり 、 土屋アンナ 、 中村嘉葎雄 実はノラネコさんがすでに「アア、ヤッチマッタァ・・・・・ 」と評価したばかりだ。「この映画の作り手は、異世界を説得力を持って作り上げる難しさを理解していない。 この映画の世界は、何かの方向性をもってデザインされたというよりは、単に思いついた要素を無秩序にぶちこんだようだ。 」ノラネコさんの言うように「ロード・オブ・ザ・リング」と比べるとよく分かる。「LOTR」では、映画の中ではあまり全面的に出ていない長大な歴史的背景があるから彼らの行動原理に説得力があった。それを支えるために、かぶとの紋章や言語の描写も凝っていた。「どろろ」には当然それがない。だから百鬼丸の失われた身体が何を意味するのか、結局何も分からない。「原作のどろろは十歳くらいの男の子の格好をした少女だが、映画のどろろはどうみても小汚い格好をした大人の女である。 映画を観た限りでは、この点も特に必然性のある改変ではない様に見える。 」マンガの場合はどろろは女の子であったということが一番最後に明かされる。リアルタイムでそれを少年サンデーで読んで、私は心底驚いた。大人になってそのことの意味をやっと理解した。だからこそ、百鬼丸と醍醐の対決でのセリフ(「どろろが許すといったら俺は許す」)が意味を持つのである。はじめから大人の女だと分かっているようではどうしようもない。しかも、映画ではなんとその決定的なセリフは単なるセリフとして片付けられてしまう。それりゃないだろう。もうこれ以上言っても仕方ない。 私としてはそれ以上のことを付け加えることは無理だろうと思うのであるが、蛇足的に少しだけ書く。 ここまで改変したのなら、おそらく世界進出を考えて舞台を異世界にしたのだろうから、思いっきり「マクベス」と「リア王」のセリフをそのまま持ってきて改変したほうが良かった。役者はいい役者を使っているのだから、それでも作れただろうに。ただし、監督がそのように原作を読み込むことが出来らの話であるが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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