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カテゴリ:邦画(09~)
1943年、片田舎の村に傷痍軍人が帰還した。「軍神」というおまけをつけて。手と足をもいだ丸太にして。声も無くし。そのとき、村人はどのように反応をするか。親族はどのように反応をするか。子供もいない妻はどのように反応をするか。傷痍軍人はどのように生きてていくのか。
監督 : 若松孝二 出演 : 寺島しのぶ 、 大西信満 、 吉澤健 、 粕谷佳五 、 増田恵美 、 河原さぶ 、 石川真希 、 飯島大介 、 安部魔凛碧 、 寺田万里子 、 柴やすよ 編集がとてつもなく稚拙である。あまりにも繰り返しの映像が多い。日本兵の中国女性レイプシーンを何度も繰返すからには、意味があるのかと思ったら、なんとなく繰返しているだけであった。久蔵とシゲ子の絡みのシーンの繰り返しには意味があるのだろう。食べて、寝て、食べて、寝て、その繰り返しを見せるのはいいと思う。しかし、村の対応の繰り返しにはもっと工夫が必要だ。あの内容ならば、一時間で充分だ。この映画は本来たった一つのこと、丸太のようになって帰ってきた軍神を戦前の村に放り込むことで戦前日本の丸裸の日本の姿を見せようというものだろう。結局、軍国主義日本の一面と軍国日本の中国でして来たことの加害性の告発なのである。それはいい。しかし、そのために久蔵はあまりにも人間性を喪失した男としか描かれていなくて、ひとつの記号にしか思えない。よって、1時間24分も間が持たない。シゲ子はよく描けていた。 チラシには「前作「実録・連合赤軍」から二年。赤軍の若者たちが立ち上がった背後には、親世代の戦争責任を問い、再び戦争に加担しようとする国家への怒りがあったはずだと若松浩二は言う。」と書いている。そうだとすれば、はたしてこれが「戦争責任を問う」ものになっているのか、「戦争」を描けているのか、私には全く疑問である。若松監督が見えていたのは、軍神をめぐるエピソードと中国での日本兵の残虐性だけなのだろう。それと、女性からの視点に過ぎない。私は本当の悲劇は敗戦から始まるのだろう、とずっと思っていた。ところが、敗戦の日にこの物語は突発的に無理やりに終わる。若松監督に人間のドラマを期待するほうが無理なのだろう。 こういう問題を描こうとしたこと、低予算映画だが、思いもかけずベルリン映画祭最優秀女優賞を得て、採算が取れるめどが立ったのだろう、鑑賞料金を1300円に引き下げたことなど、良とすることはあるが、とうてい、今年の収穫に入れることはできない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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