《音楽表現に論理的な視点を提示》
22日に亡くなった吉田秀和さんは、美しい文体の評論で、音楽ファン以外にも多くの人を引きつけた。東京帝大仏文科を卒業後、音楽評論を自身のノートに書き始めたころから、演奏の印象雑記や好き嫌いに終始する当時の日本の音楽評論の打破を目指した。戦後「ロベルト・シューマン」などの評論で、音楽表現に論理的な視点を提出、文化論としても高い評価を得た。その後、新聞に批評を定期的に掲載、新聞の音楽評論が先導する日本の音楽文化の形態を作り上げた。新聞批評でも「評価する理由をはっきりさせなければ意味がないでしょう」と常に語っていた。
ピアニストのグレン・グールドをいち早く評価するなど先駆的な評論は世界でも知られ、初来日公演を吉田さんに「ひび割れた骨董(こっとう)品」と批判された名ピアニストのホロビッツが「吉田を満足させる」と、再来日公演を決めたことも知られている。(毎日新聞)
小生、このニュースを知った時、筋肉が弛緩したかのような居た堪れないショックで、体から力が抜けきった。あまりにも大きな指標が消えたという感じだった。数いる著名は音楽評論家の諸先生の中で、過去にも今にも未来にも、吉田先生のような方は出てこない。吉田先生ほど論理的な書き方で構築された文章を客観的に文学的に書かれる方はほとんどない。専門的でありながらも、詩的であり且つ論理的であり、批評家以上に文学者であり、作家であった。
吉田秀和先生は、日本を代表する以上に世界3大音楽評論家として天下に名が通った方である。常に何ゆえにということが明晰に書かれている。最も大切な批評や書き方の中にその所以たる確証を用いた方であり、感覚だけではなく譜面の裏付けが必ずあった。大仏次郎賞を受賞した「吉田秀和全集」は小生の30年以上も前からの座右の書になっている。
小生がその30年も前、当時駆け出しの音楽評論なんぞを傍らに始めていたころだが、偶然にも先生に出会えた。地元の音楽愛好家やアマチュア演奏家の方たちのコンサートプログラム、曲目解説などを書いていたころで、たまたま縁あって日比谷公会堂でポゴレリッチの初来日コンサートを聴きに行ったとき、吉田先生にお会いした。会場で見かけ、お声をかけるのにも声が震えて、何を話してよいやら固まってしまった記憶がある。先生の存在は、当時から雲の上の神様みたいな人だった。
それ以来、吉田先生の音楽観、感性に纏わる文章の流れの美しさ、また造詣の深さからくる信憑性と確信的な裏付けによる普遍的なな解釈、それらは読んでいて安心し、自らが納得して確信をもてるようになった。朝日新聞での書評、レコード芸術での書評と考察、どれもが評論家としての風格と質の高さは、日本屈指である。アメリカのハロルド・ションバーグ、ドイツのヨアヒム・カイザーと並び、評論家としてその実力と評価は世界でもお墨付きだった。
先生の死で日本を始め、世界のクラシック音楽会での大きな指標がなくなってしまったことは、残念極まりない。高齢であり、どれほどかのご負担はあったかとは思うが、もっと書き続けていてほしかった。宝を失い、巨星が消えた悲しみはあまりにも大きすぎる。こう思うのは小生だけではなく、大多数のクラシック音楽ファン、そして吉田先生の文献を読んでこられた人たちはそう思うのではないだろうか。
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Last updated
2012/06/06 11:57:32 PM
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