応えはどこにあるの?
高校生の娘が将来に対し悩んでいたら親は何と声を掛けてあげたら良いのでしょうか?こちらからすれば10代の考えは自分にとても甘く「ああいえばじょうゆう」とかつて、ちゃちゃを入れていたように(笑)こちらが何か言うと、自分なりの理論で返してくる。それは、人生の大半を過ごし、後悔の念で無様に生きている私には、いつか、後悔する事にならなければ良いと思うけれどまだ、経験の浅い10代には、その言葉の重みは感じないだろうし。自分自身の人生だからと割り切って見守り続けるかそれとも、叱咤激励するか。確かに、自分の甘さはさておき、夢が見つからないとか、はたまた、夢はあっても到底敵わないと諦めるとかそんな風に育ててしまった私に大いなる責任があるわけで。夢は見つけるものではなく、描くもので夢は敵うものではなく敵えるもので。その為にどれだけ動けるか。で。。。その原動力が無ければ、当然動き出せない訳で。。中学受験のときは、行きたい学校に入る事が全てだと感じ、頑張ってきたそうだ。それが実現し、現実を見た彼女は、果たして、あれだけの勉強をし、実現させても、そこには、自分が想像した世界とは違う世界が存在し、その為に多くの時間を費やしてきたのか、、、と途方にくれているのかもしれない。中学受験に成功した上の娘も、下の娘も、全く同じ状況に陥った、、、、。中学合格だけが全てではないと思っていたけれど、私が行けといった訳ではないけれどいつしか、それは、本人の希望と同時に、私の希望にもなっていたのかもしれない。私と違って、多くの才能を持ちあわせる子供たちに、私の叶わなかった夢を重ね合わせたのだろうか。。。。そう思うと、いつも逃げてばかりいた私は子供に到底頑張れなんて言えない。良い大学に入る事が良いのか、大学は就職の為の糧ではないのかと言われると、全てがそうではなく、全てが間違いでもない。ただ、学業は夢実現の為に大切だと、とある学校の校長先生がお話をされていた。やっぱり、世の中は学歴社会なのか。。。良い大学とは何か?勿論、大学ばかりが全てではなく、素敵な生き方をしてる人たちはたくさん居る。そうなれるか、どうかも、自分が思い描いた夢実現の為にかかっているのか。その夢を見出せない娘に何を話してあげたら良いのか判らない。今、必死にもがいている娘に差し出す手は何なのか。見守るだけしか出来ない私の何と不甲斐無い事か。。先日、娘のお友達が亡くなった。先天性の病気だったそうだ。産まれた時から長くは生きられないと言われていたそうだ。それでも、中学受験をし、希望の学校へ入学し笑い、語らい、ふざけていたに違いない。その友が、この世から居なくなる。人は何の為に生まれ、生きるのか。応えはどこにあるの?