最近、日記を書く意欲が減退している。
最初は読書日記をと思って書き出した私の日記だったが、昔の思い出話や、聞き知った雑知識などを交えてきた。 時々時事問題に、門前の小僧よろしく挑戦したりした。 しかし、読書については私は精読派の上に歴史や科学の本が多いので、毎日一冊読破して、感想を書くというペースは不可能だ。 昔の思い出話も色々あるにはあるのだが、書いてしまえばそれまでで、想いの交錯する過去の世界も、そこで完結してしまう。 ~~~~~~~~~ 日記らしい日記というものを書く、つまり「その日の」私の行動記録や心境を書く、と言う事には私は興味がない。 ま、私の生活や行動そのものが記録するほどのものであることに起因していることは確かだが、それでも毎日、少しずつはそれなりの変化があるはずなのだが・・・。 やはり私という人間は、現実の私の行動とか交遊とか、そういうものに興味が無いのだろうと思う。 ひょっとしたら、私は私自身という現実に、それほど興味が無いのかも知れないと思う。 ~~~~~~~~~ 私は中学時代から登山に興味を持って、高校時代は山岳部にいた。 大学でも同好会に少し入っていたときがある。 社会人になってからは同僚が行きたがらない僻地への出張が楽しみだった。 アラブの安宿でラクダのステーキを食べたりしていたら、なごむのだから変人かも知れない。 学生時代も試験が終わるとその日の夜行に飛び乗ってあての無い旅行をするのが楽しみだった。 こんな事を書きながら自分というものを考え直そうと思っているのだが、私は結局、現実逃避の人間かも知れない。 旅というものは現実の日常からの逃走だと思う。 夜汽車に飛び乗った瞬間に、現実から切り離されるのだ。 現実とは異なるものを発見したいと思いながら、車窓から暗い夜景を眺めているのだ。 今思い出すことがあるが、幼いときに近所を「探検」して歩いていて、ふと気がつくと全く知らない村落のような所に出くわすことがあった。 村というと正確では無いかも知れないが、昔のそんな牧歌的な地域の雰囲気は漢詩の世界の「桃源郷」を思わす雰囲気があった。 そんな時に私は、幼いなりにまるで「新大陸」を発見したような驚きと誇りを感じ、興奮したことを想い出す。 読書でもそうなのだが、歴史の世界を好むのも、一種の心の旅行・心の中の探検かも知れない。 この現実という、けだるい、アンニュイな、閉ざされた予定調和の世界から、なんとしてでも逃れたいという心の動きかも知れない。 音楽で言えばモダンジャズのサックスの悲鳴にも似たアドリブなども、どこかにあるはずの、違う世界への身をよじるようなあえぎなのかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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