カテゴリ:M【中東】での想い出
復刻日記 「王女の処刑 PART 2 」
昨日の王女の処刑物語の日記は本当はもっと長かったのだが、私なりの編集過程でまちがって短くなったまま書き込んでしまった。 そういうわけなので今日は昨日の続きと言うことで、同じ話題から始めてみる。 ―――― ◇ ―――― サウジアラビアの今の王朝の創始者、サウド王(3代前だったかな?)は、無類の絶倫で、百人以上の子供を産んだ。 もちろん同一の母親ではない。 イスラム法では4人まで妻帯が許されるし、入場制限無しの「ハーレム」というものもある。 その結果、サウジアラビアのいわゆる王子・王女達は数百人いると言われて久しいから、今ごろは千人を超えているかも知れない。 この数多くの王子達が権力争いをするのだから、サウジという国も将来はなかなか大変だと思う。 私もサウジアラビアのペルシャ湾側の対岸の島国、バハレーンのホテルのバーであるサウジアラビアの王子と仲良くなった。 サウジアラビアは完全禁酒国だがバハレーンは歴史的に英国海軍の基地であった歴史があり、欧州文化との接触の歴史があるのでイスラムのタブーにも比較的寛容な土地で、ホテルでなら酒がでる。 その若い王子は気がいい男で、サウジに来たら俺の家に来いとしきりに誘ってくれた。 護衛らしき大男が二人ほどいた。 ―――― ◇ ―――― しかし数は多くとも、直系・本家ではなくても、とにかく王女は王女である。 しかも既婚の王女が平民の男と恋に落ちた。 平民といえどもある国への大使の甥で名門の人間といえるのだが。 致命的なのは、彼女が男装して国外逃亡しようとして空港で逮捕されてしまったことだ。 この事件は後ほど英国のテレビドラマにされた。 もうひとつ、この処刑の現場にある英国人のジャーナリストがいた。 昨日の日記で書いたことだが、首切り広場を囲む数軒のホテルのどれかの窓からぐうぜんこの処刑の瞬間を見つけて、とっさに自分のコダックカメラでこの場面を盗撮、英国に持ち帰ってから雑誌に投稿した。 私もこの写真を見たがプロのフォート・ジャーナリストでは無いから、カメラもいわゆる○○チョン・カメラでとったものだから、鮮明ではないがその場の雰囲気は見て取れる。 ただし処刑の瞬間のものではなかった。 それを掲載すると今度はその雑誌がサウジ政府から厳重な抗議を受けるからだろうが。 この二つの事件はのちのち大きな話題になり、英国とサウジアラビアの関係が一時極度に険悪となった。 大使を召還するしないの大事になった。 ―――― ◇ ―――― サウジアラビアというのはアフリカ大陸とユーラシア大陸の間にある幅広い大きな半島、アラビア半島にある。 この処刑が行われた都市ジェッダは、サウジアラビアの西側、紅海沿岸の最大の商業都市である。 その紅海をはさんで対岸はアフリカ大陸である。 サウジアラビアは産油国の中でも産油量の最も大きな金持の国だ。 金満の国と言ってもいい。 豪壮な住宅はある。 しかし、水電気という基本的な生活工業設備、いわゆるインフラが、以前は不足していた。 だから、超大型の発電所プロジェクト、海水淡水化プロジェクトがゴロゴロしていた。 サウジアラビアに限らず、中東の産油国は同じ様な状況だった。 だからプラント・プロジェクト部に所属していた私は、サウジアラビアをはじめ中東産油国に何度も長期出張を繰り返して、受注して大喜びをしたり、受注を逃がして失望したり、そんな生活を繰り返していた。 そんな話題をまた書くことにします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.04.30 13:29:26
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