テーマ:web 日記について(36)
秀さんが日記とプライバシーの関係について書いていた。
ネット上では、プライバシーを全部隠してしまうと、顔のない匿名の人間になってしまって、その個人に対するイメージは何も浮かんでこない。 そこで、プライバシーを小出しに露出して、自分のキャラクターやイメージを演出して、相手の自分へのスタンスを助け、親近感を持たせるのだという。 ~~~~~~~~~ flat character と round character という、文学や演劇などの人物像論がある。 フラットな人物像とは、いわば二次元・平面のような、人間としての「特性」の少ないもの。 現実的には陳腐なステレオタイプの人間像を指し、近ごろの言い方をすれば「キャラが立っていない」状態。 例えば、外国映画に出てくる日本人等が典型なステレオタイプ。 眼鏡をかけて小柄で出っ歯で、目はつり上がっている。 性格も特性のない奇妙な「謎の」人物。 それに対してラウンドな人物像とは、立ったキャラで、球形・三次元の、つまり奥行きのある人間像。 特性が多く、しかも矛盾した特性も含む人間像。 フィクションではこのラウンドな人間像を創造できるかどうか?という所が key point になる。 ブログにおいては、芸術における人物像とは異なり、相手の文章でしか相手の人物像を思い描けない。 そこで、プライバシーを少し露出して、ラウンドな人物像を相手に持たせる。 そう言うことが無意識下で行われていると言うことで、これは納得できる。 ~~~~~~~~~ 日記にある程度の自己顕示欲の裏打ちがあることは疑いのない事実だと思う。 ただし、自己顕示欲を否定的に見る必要はないと思う。 自己顕示欲をうまく利用して、自分で自分の日記を有用な発表の場とすることも可能なわけである。 自己顕示欲は、自己表現欲と言い換えてもいい。 あらゆる芸術というもの自体が、すでに自己顕示欲が形を変えたものであるに過ぎない。 高等な学術論文だって自己顕示欲と無縁ではない。 人間活動そのものが自己顕示・自己表現なのだから。 ~~~~~~~~~ 私の印象では、他のブログ・サイトでは、(まあ、ブログと言っても結局は日記と変わらないのだが)楽天日記よりも、自分の主義主張などが述べられているように思う。 それに知識の発表なども盛んだ。 つまり、尖っているように思う。 後発なだけに、ブログというものを意識した書き方になっている。 それにくらべると日記サイトから出発した楽天日記は、平均して身辺雑記というか、日々の生活の記録や雑感が中心のように思える。 つまり生活記録である。 自分という人間の毎日の生活のlog としての日記である。 私はおもうのだが、基本的に他人の個人的生活の記録なんて、読んで面白いものではない。 楽天日記を読み始めた頃は、そんな生活日記を読んでいたが、それにも慣れた今は、そう言う日記はほとんど読まない。 読んだとしても、その中の有用な情報だけを読んでいる。 ただ例外として、もし、その人の毎日の生活が華麗な波瀾万丈な毎日だったら、それは読んでいても面白いだろう。 しかし、本当に波瀾万丈な毎日を生きている人は、楽天日記など書かないだろう。 さざ波も立たない静かな入江のような毎日の、ほんの些細な変化を書き留める日記の価値と言うものは、基本的に当人と親しい友人間のプライベートなものではないだろうか。 ということで、・・・やはり、【勉強日記】を書こう。 昔の想い出を、アルツになる前に定着させる【想い出日記】を書こう。 または、時事・ニュースに反応して、【時事ニュース日記】を書くのも無意味ではないだろう。 これ等の日記なら、なんとか、何らかの意味で、私にとって価値があるように思える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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