カテゴリ:🔴 M【メモ・サブノート】
2005年1月元旦となった。
一応、無条件におめでたいはずの日だ。 年令を数え年で数えた昔は、元旦に全国一斉に、一歳年をとるシステムだった。 谷川ヤスジの漫画の、屋根の上のニワトリが「全国的に朝~!」と告げるようなもので、元旦には「全国的に全国民が年を一歳とったのだ。 ~~~~~~~~ 「元旦は冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし」 これは一休和尚(=一休宗純禅師 1394-1481)の作った句で 彼は正月に髑髏(どくろ)を持って町中を、ねり歩いたという。 正月が来たからめでたいと、浮かれてばかりいてはいけない。 厳しい現実を、この世のさだめを直視しろと言う、禅者としての、過激なメッセージだろう。 町中の一般人には迷惑な話だが。 ~~~~~~~~~ 「メメント・モリ」という言葉がある。 「Memento mori!」というのはラテン語で、いわば宗教上の標語のようなもの。 私は、ラテン語だけはダメなのだが(笑)、英語でなら直訳ではないが “Remember, you too shall die"と言う意味になると思う。 「死を思え!」「死を思い出せ!」という意味になる。 キリスト教の教会の壁のプレートに彫り込まれていたり、修道僧たちが言い交わしたフレーズらしい。 つまり、人間は「死ぬるが必定」ということだろう。 「常に人間は死に行く存在だという自覚を持って生きよ!」 「無駄な、無自覚な生き方はするな!」 「神と、神の子としての自分の間の契約を意識して、自分に与えられたこの世の中での生きる期間を立派に生きよ!」 ラテン語の専門家の私から言わせれば(笑)、ラテン語という言語は、これ以上ないほどコンパクトでシンプルで短い。 しかし、その短い2つの単語からなる短文に、そういう広い、深い意味が込められていると思う。 欧州の修道院の中の修道僧や修道女は、この言葉を常につぶやきながら、おたがいに修道院の廊下をすれ違う時にはささやき合いながら、そうして生きたのでは無いか? と考えたりする。 ~~~~~~~~~ 私は大学生の頃、新宿にあったATGという芸術的な映画ばかりを上映する専門映画館で(当時はそんな映画館が話題になって営業して行けた時代だった)で、当時の話題作だった、ポーランド映画の「尼僧ヨアンナ」という映画を見たことがある。 この映画については、これらのサイトをご覧ください。 http://www.paoon.com/film/zelflfkml.html http://www.tomita.net/review/y980318.htm ―――――― 若く美しい尼僧院長ヨアンナにとりついた悪魔、それを追い払おうとする信仰心厚い神父。 中世ポーランドの寒村の尼僧院を舞台に抑圧された性欲を題材として神と人間の問題を描く。 カンヌ映画祭審査員特別賞 ―――――― ストーリーの細部は覚えていないのだが、視覚の記憶で、禁欲の極致である修道院という閉ざされた小さな世界における抑圧された修道女の性の激しさにショックを受けた。 それと共に、木造建築である日本の寺院とは正反対の、すべてが荒々しい、冷たい石の建築物である僧院と、ほてるような心と肉体の持ち主である修道女とのコントラストにもショックを受けた。 木目も優しい日本の寺では、こんな神と生身の人間の屹立した存在の対決などはあり得ないのだろうと思う。 いつもの事ながら、話が飛んでしまっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[🔴 M【メモ・サブノート】] カテゴリの最新記事
|
|