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JR福知山線の列車事故に、気分が落ち込む。
私は生まれ落ちてから、阪急沿線で生活をした人間で、昔の国鉄、いまのJRを利用することは、ほとんど無かった。 関西は関東圏とちがって私鉄王国と言われ、旧国鉄は劣勢だった。 その旧国鉄のなかでも昔の福知山線は、位置関係こそ阪急の宝塚線と平行して走っていたが、通勤通学などに使用されないローカル線だった。 単線で蒸気機関車が走っていた記憶がある。 私の子供の頃、田舎列車と言えば国鉄の福知山線で、田舎電車と言えば能勢電(いまの能勢電鉄 阪急の子会社で支線のようなもの)だった。 それが、今は多くの鉄道に乗り入れて大阪都心に乗り入れ、そのスピードで阪急宝塚線の旅客を大幅に奪ったのだという。 私が福知山線を使用したのは大学時代だ。 それも旅客としてでは無く、チッキを自宅から東京へ送る時だけだった。 チッキと言っても今の人にはわからないだろうけれど、鉄道小荷物という制度だ。 例えば、私が休暇明けで東京の大学へ戻るとする。 荷物が多い場合は、まず乗車券を買って、それを見せて大きくて重い荷物を、別送荷物として鉄道で送る。 それがチッキというものだ。 チッキとは、たぶんチケットから来た言葉だろうと思う。 このチッキは、推理小説の材料としてよく使われた。 チッキのトランクの中から死体がでたり、チッキがすり替えられたり。 エアラインにも同様の制度がある。 アナカン(Unaccompnied Luggage)と呼ばれる 輸送方法である。 ハンドキャリーしたいが、持ち運ぶには重すぎる場合に利用することになる。 そのころの福知山線は、めったに汽車が通らない田舎鉄道でのんびりしたものだった。 ただし最近、私も福知山線を時々使用する時がある。 大阪の新幹線の駅である「新大阪駅」にも福知山線が乗り入れていて、新大阪から私の自宅の近辺の駅まで乗ることがある。 阪急も新大阪駅への乗り入れを計画したが、途上の土地の買収ができないであきらめた。 ただし、今回の事件が起こるまで、福知山線がこれほど通勤・通学に使用される路線になっているとは知らなかった。 それに、福知山線と言っても、今度の宝塚から尼崎までの区間は、一般的にJR宝塚線と呼ばれていることも知った。 ~~~~ 例によって、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で、福知山線を調べてみた。 ~~~~ 福知山線(ふくちやません)は、兵庫県尼崎市の尼崎駅から京都府福知山市の福知山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。 東海道本線の大阪~尼崎間を含む大阪~篠山口間にJR宝塚線の愛称がある。 尼崎~谷川間が大阪近郊区間に含まれる。 塚口・尼崎間で東海道本線に合流し大阪駅に至る。 山陰方面・兵庫県北部への大阪からのルートの一つであるとともに、兵庫県東部の各都市から大阪への通勤・通学路線となっている。 路線データ 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者) 路線距離(営業キロ):106.5km 軌間:1067mm 駅数:30駅(起終点駅含む。JR宝塚線としては23駅) 複線区間:尼崎~篠山口間 電化区間:全線電化(直流1500V) 沿線風景 1986年まで客車普通列車が走っていたり、生瀬~道場付近では武庫川の渓流の眺めを楽しめたのどかな路線であったが、沿線開発が進み、電化やJR東西線の開業により新型電車が行き交う路線に姿を変えた。 それでもこの線は川との関係が深い。 宝塚駅から古市駅までは何度も交差しながら武庫川を遡り、篠山口駅から谷川駅は加古川支流の篠山川の渓流沿いに下る。 福知山線の最大特徴はトンネル無しに分水嶺を越えること。 石生駅周辺は太平洋と日本海を分ける分水嶺の高度が本州で最も低い所(この辺りでは分水田圃)。 田圃の中を走っているうちにいつの間にか日本海へ注ぐ由良川沿いの福知山駅に到着する。 福知山駅の手前では、最近再建された福知山城天守閣が見える。 運行形態 福知山線は尼崎駅が起点だが、全ての列車が東海道本線を通って大阪駅(特急は新大阪駅)または尼崎からJR東西線を経由し片町線(学研都市線)に乗り入れる。大阪駅方面への一部の列車はさらにJR京都線に直通し高槻駅・京都駅方面まで運転される。 優等列車 以下の列車が全線を通して運転されている。2004年10月16日に急行「だいせん」が廃止されてからは、夜行列車の運転は無くなり、昼行列車のみの運転となっている。 特急「北近畿」 特急「文殊」 特急「タンゴエクスプローラー」 普通列車 大阪~篠山口間には丹波路快速が運転されている。 1999年10月から山陰本線と直通する普通列車はなくなり、篠山口駅以南と直通する列車も少なくなった。現在全線直通運転を行う普通列車(快速含む)は、朝・夕方以降に運転されており、昼間は大阪~篠山口間、篠山口~福知山間で運行系統が分かれている。 普通列車(各駅停車) JR京都線と直通し京都・高槻~大阪~新三田間に運転される列車が中心。早朝・深夜などに大阪~福知山間の列車やJR東西線直通列車がある。また、大阪~篠山口間の快速と接続して篠山口~福知山間の列車が運転されている。篠山口~福知山間では主に昼間に運行される列車がワンマン運転を行っている。 快速 大阪~篠山口(一部の列車は福知山)間のほか、JR東西線・学研都市線と直通する列車が尼崎~篠山口間を走っている。後者の大半は新三田駅まで、昼間時間帯は宝塚駅までの運転である。快速列車は、国鉄時代にも1日に数本ほど設定されていたことがあるが、多数運転されるようになったのは1989年3月からである。 丹波路快速 221系電車によって大阪~篠山口間に運行されている快速列車の愛称。昼間から夕方の時間帯に運転される。停車駅は他の快速と同一である。快速に221系電車が増投入された2000年3月のダイヤ改正で登場した。早朝・夕方以降にも221系電車によって運行される快速列車があるが、この列車は丹波路快速とは呼ばれない。 歴史 福知山線の前身は、川辺馬車鉄道が開業させた尼ヶ崎(のちの尼崎港)~伊丹間の馬車鉄道である。これを摂津鉄道が買収して蒸気動力の軽便鉄道に改築し尼ヶ崎~池田(現在の川西池田)間を開業させた。当時の池田駅は呉服橋西詰付近にあった。 摂津鉄道は、大阪から舞鶴までの鉄道を計画していた阪鶴鉄道に合併され、改軌した上で宝塚駅まで開業。以後順次延伸されて、福知山駅まで全通したのは1904年である。 国有後は官設の福知山~新舞鶴(現在の東舞鶴)間などとあわせて阪鶴線と呼ばれていたが、山陰本線の京都~出雲今市(現在の出雲市)間が開通したのを機に、現在の区間が福知山線となった。 武庫川中流、武田尾付近には旧線跡が今も残る1980年代頃から近代化が進められた。 1980年代前半まで腕木式信号機が現存したがCTC化により姿を消し、1986年には尼崎駅から新三田駅までの複線化、福知山駅までの全線電化が完成する。 この時、生瀬~道場間がトンネルの連続する新線に切り替えられた。 民営化後の1997年には、篠山口駅までの複線化が完成し、JR東西線・片町線(学研都市線)との直通運転が開始された。 その陰で、福知山線最初の開業区間でもあった尼崎港~塚口間の通称尼崎港線が、旅客営業を1981年に廃止した後、1984年に廃止された。 1898年に東海道本線の尼崎駅への連絡線を設けて大阪方面との直通運転を始めてからは、尼崎港~塚口間は盲腸線と化していた。 晩年の旅客列車の本数は1日2往復であった。 1891年9月川辺馬車鉄道が尼ヶ崎(のちの尼崎港)~伊丹間を開業。 1892年6月摂津鉄道が川辺馬車鉄道を買収。 1893年12月12日 摂津鉄道が尼ヶ崎~池田(現在の川西池田)間を軌間762mmの軽便鉄道に改築して開業。 1897年2月16日 阪鶴鉄道が摂津鉄道を合併。 1897年12月27日 池田~宝塚間が開業。全線を1067mm軌間に改軌。池田駅移転。 1898年6月8日 宝塚~有馬口(現在の生瀬)間、神崎(現在の尼崎)~塚口間開業。 1899年1月25日 有馬口~三田間が開業。 1899年3月25日 三田~篠山(現在の篠山口)間が開業。 1899年5月25日 篠山~柏原間が開業。 1899年7月15日 柏原~福知山南口(のちに廃止)間が開業。 1901年 尼ヶ崎~塚口間が休止。東海道線との立体交差化のため。 1904年11月3日 福知山南口~福知山間が開業し全通。 1905年7月13日 尼ヶ崎~塚口間を貨物線として再開。東海道線と立体交差化。 1907年8月1日 阪鶴鉄道が国有化。 1909年10月12日 線路名称制定。神崎~福知山~新舞鶴(現在の東舞鶴)間、尼ヶ崎~塚口間などを阪鶴線とする。 1911年9月6日 尼ヶ崎~塚口間の旅客営業再開。 1912年3月1日 神崎~福知山間、尼ヶ崎~塚口間が福知山線となる。 1979年9月27日 塚口~北伊丹間が複線化。 1980年12月5日 北伊丹~中山寺間が複線化。 1980年12月11日 中山寺~宝塚間が複線化。 1981年4月1日 尼崎~宝塚間が電化。尼崎港~塚口間の旅客営業廃止。 1984年2月1日 貨物支線(尼崎港線)塚口~尼崎港間が廃止。 1986年8月1日宝塚~三田間が複線化。生瀬~道場間を新線に切り替え。 1986年10月15日 三田~新三田間が複線化。 1986年11月1日 宝塚~福知山間が電化。西宮名塩駅・新三田駅開業。貨物営業廃止。 1987年4月1日国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。 1988年3月13日 大阪~篠山口間の愛称としてJR宝塚線を採用。 当初は新三田までであったが、発表直後に多紀郡(現篠山市)が反発し、篠山口までとなった。 1993年3月18日 207系電車(JR東西線仕様の銀色の車両)投入。 1997年3月8日 新三田~篠山口間が複線化。JR東西線を経て片町線と直通運転開始。 2000年3月11日 「丹波路快速」運転開始。 2005年4月25日 尼崎~塚口間で脱線事故。負傷者は222超名、又、国鉄分割以降最悪の死者数を記録。2005年4月25日18時現在。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.04.27 13:48:11
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