テーマ:人生について(170)
カテゴリ:🔴 B 【本・読書・文学】【朗読】
昨日は復刻日記として尾崎放哉に関するものをアップしてみた。 復刻日記としてアップしたが、なんだか、もっと語りたいと思うことがあって、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)から、彼についてコピーしてみよう。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ 尾崎放哉 尾崎放哉(おざき ほうさい、 明治18年(1885年)1月20日 - 大正15年(1926年)4月7日)は日本の俳人。本名・秀雄(ひでお)。 ★ 経歴 鳥取県鳥取市立川町の鳥取藩士族で鳥取地方裁判所の書記官・尾崎信三の次男として生まれる。 明治35年(1902年)第一高等学校(一高)入学。明治42年(1909年)東京帝国大学法学部を卒業。一高時代より俳句を始め当初は号を芳哉と名乗り、後に放哉と改め、「ほとゝぎす」などに投句。 のち、一高時代の先輩である荻原井泉水の主宰する「層雲」の門人となる。 同年、東洋通信社に入社。しかし入社僅か1ヶ月で退社。 明治44年(1911年)東洋生命(現・朝日生命)に入社。 同年馨と結婚。 大正12年(1923年)朝鮮火災海上保険会社の創設にかかわり支配人として、京城に赴任。 入社の際の条件であった禁酒を破り免職となる。 借金をかかえ新京(現・長春)やハルピンで事業を興すが失敗し、肋膜炎を患い帰国。 帰国の後、妻より離縁され、京都の一燈園に身を投じるがすぐに出奔し、知恩院・神戸の須磨寺、福井県小浜市の常高寺などの寺男などを務めたが酒癖の悪さで放逐されたり寺の破産などの不遇に遭いながら転々とする。 晩年は、井泉水の紹介で大正14年(1925年)8月小豆島土庄町の王子山蓮華院西光寺奥ノ院南郷庵の庵主となる。 ここで落ち着き、俳句の創作に没頭したが、結核を罹患する。 翌、大正15年4月7日結核が悪化し他界。享年42。 自由律俳句の代表的俳人として種田山頭火と並び称される。 旅を続けて句を詠んだ動の山頭火に対し、放哉の作風は静の中に無常観と諧謔性、そして洒脱味に裏打ちされた俳句を作った。 唯一の句集として、死後、井泉水編『大空〔たいくう〕(春秋社、1926年6月)』が刊行された。 ★ 代表句 大空のました帽子かぶらず 足のうら洗へば白くなる 入れものがない両手で受ける 咳をしても一人 枯枝ほきほき折るによし 春の山のうしろから煙が出だした ★ ★ ★ ★ ★ ★ 以上で放哉に関するコンパクトな情報は終わりだが、上記の中で代表作とされる句は、私の好きな句とはちょっとちがう。 芸術に対するスタンスと人生経験によって、人の思いはさまざまだと思う。 共通するのは、「咳をしても一人」だけだ。 「入れものがない両手で受ける」は、托鉢時代のものか。 山頭火の句にも、似たようなものがあったような気がする。 私が好きな放哉の句は、救いようもない失格人間・人格崩壊人間としての放哉の、今で言えばホームレスに近い生活の中での、行き所のない絶望の中でのつぶやき・自己認識・人生観察の句。 ~~~~~~~~~ (元の日記の、この個所は省略する) 私はそれで脱サラしたのだけれど、その脱サラの世界は苛酷なものだった。 その中で、事業の失敗など、彼の経歴と共通する経験を共有することになって、放哉の句に共感する悲惨な心境を知ることになる。 今の私は、さいわい立ち直って、安定した生活をしている。 しかし、人生は「板子一枚下は地獄」であるという事をしみじみ実感したし、もう自分の人生は終わりか?という生活が長く続いた。 それが外国に於けるものだったから、かえってよかったかも知れない。 もし日本だったら、屈辱で立ち直れなかったかも知れない。 いや、やはり、この辛い生活は、いろいろな面で、私に大きな後遺症を残したかも知れない。 ~~~~~~~~~ さて本題だが、私の好きな句として、昨日の「復刻日記」にのせた句に対して、僭越ながら思うことを述べる。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ■ 死にもしないで 風邪 ひいてゐる 「死にもしないで」という部分に、それまでの放哉の人生に対するディスペレイト=disperate 絶望的な思いや経験が表出していると思う。 ~~~~~~~~~ 【desperate】 【形】 絶望的{ぜつぼうてき}な、自暴自棄{じぼう じき}の、捨て鉢の、やけくそになった、いちかばちかの、死に物狂い{ものぐるい}の、必死{ひっし}の、~したくてたまらない、欲しくてたまらない ・ 例文 Desperate disease must have desperate remedies. 《諺》絶望的な病には荒療治が必要。 ・ 例文 She was so desperate, she thought about suicide. 彼女はすっかり絶望していたので、自殺しようと思った。 ~~~~~~~~~ その絶望的な、冷え冷えとした寂寥の世界の底部に沈み込んでいた放哉の世界。 寂寥だけでなく、恐らく神経症からの剥き出しの病んだ神経が彼を苦しめる。 【死にもしないで】というのは、いままでもすでに死んでいるような、生の実感のない生活をずっと続けてきて、それに耐えてきての今なのだが、その中で、それでいて、なおも加うるに あいまいながら、悩ましい風邪をひいている。 ただの風邪だが、されど・・・、その状況においての、救いようのない世界の中での、風邪である。 高熱を伴うインフルエンザでも、肺炎でもない。 【死にもしないで】というのは、そういう自分に対する放哉の自嘲のつぶやきでもある。 しかし、その風邪がかえって、彼自身の「生」を実感させることにもなっているのではないだろうか? 放哉の心象世界は、常に「いれこ」である。 「いれこ=入れ子」 「マトリョーシカ」という、女の子の姿をかたどったロシアの民芸品がある。 このマトリョーシカは、日本のこけし人形をヒントとして作られたという。 この人形は入れ子式になっていて,胴体が上下に分かれ,中から一回り小さな人形が次々と出て来る。 これも入れ子である。 放哉にとっては、基調としての desperate な世界があって、それはそれまでの長い苦悩の世界が前提になっていて、その上で、「はっ!」とするような、人生を輪切りにするような、MRIにかけたような、人生のコアな断面を、スパッと切り裂いて、我々の面前に投げ捨てる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[🔴 B 【本・読書・文学】【朗読】] カテゴリの最新記事
|
|