カテゴリ:🔴 C 【文化・歴史・宗教】
引き続き、ねこのひげさんの日記である。
「柳田国男集面白い!「泣く」という行為がはばかられる訳」 日記の主文を引用する。 ■■■■■■■■ 引き続き読んでいる柳田国男集が面白い。 今度は「泣く」という行為を取り上げた「涕涙史談」。 曰く、近世以前(私はおそらく明治時代以前のことだと捉えているのですが・・)には、市井の人々の語彙は非常に乏しく、よって人々は自身の胸のうちに湧き上がる感情を、その貧弱な語彙ではなくて表情や仕草や言葉にならない発声を以って表していた。 ところが、教育が行き届き人々の使用する語彙が飛躍的に増えると感情を表すにもその語彙の中から適切だと思われるものをチョイスして口にするという手段が一般的、支配的になり、そこで例えば「涙を流し声をあげて泣く」という行為は非文明的であるかのように見なされることとなったが果たしてこのような風潮はいかがなものか・・・といったようなことを書いておられる。 人が泣くに至るにはそこに悲しみの感情があるからというのは一般的な考え方であるが、「カナシイ」という言葉は元来、不幸から来る感情の刺激だけではなく、もっと広義の「切なる感情」という意味を包含していたらしい。 時代が進むにつれそのような漠とした概括的な意味しか持たない「カナシイ」という言葉は実生活で機能しないので、地方により「カナシイ」は狭義に使われ意味が分化していった。 その中で「不幸によりもたらされる感情」という意味が支配的に残り、「泣く」という行為は「不幸」の存在を暗示しているとして忌み嫌われるようになった。 というようなことも書いてある。 泣くという一見たわいも無い行為から日本の民俗史における一考察に発展する・・・・ うむ、面白い面白い・・・繰り返すが面白い ■■■■■■■■ 私とその他の方のコメントと、ねこのひげさんのレスについては、「柳田国男集面白い!「泣く」という行為がはばかられる訳」をクリックしてください。 http://plaza.rakuten.co.jp/nekonohige99/diary/? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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