カテゴリ:F【外国】での想い出
以前にも書いたが、私は以前、東南アジアのある国でゴルフを始め、約半年間やったものの、その後は、現在に至るまで、数えるほどしかプレーしたことがなかった。
そのある国とは、インドネシアだったが、今となっては今昔の感があるが、首府のジャカルタにいても、高層ビルはなく、デパートが一軒だけ、本屋も二軒?ぐらいの文化度だった時代で、休日はなにもすることがなかった。 私の得意の?読書も、日本からあまり本を持ってきていなかったので思うにまかせない。 しかたなく?同僚とゴルフ場へ向かったのである。 それまで日本ではゴルフをプレーしたことがなかったので、ゴルフ用具も持っていなかった。 日本からジャカルタに向かう途中で立ち寄ったシンガポールで駐在員に相談したら、あるゴルフショップに連れて行ってくれて、そこで私はポン!とスポールディングのフルセットを買ってしまったのである。 キャディーバッグやシューズもついでに買った。 なにしろ今から40年近く前の話なので、それほどクラブの知識もなく、店の人間にいわれるがままにそのセットを買ったわけである。 シャフトはスチールで、ウッドはパーシモン(柿)という時代である。 最近わかったのだが(知ろうともしなかったようだ)、シャフトの硬度は「R」で、当時の私にはやわらかすぎたのではないかな? ジャカルタにはゴルフ練習場というものは無く(どこかにあるというはなしではあったが)、そのセットで、いきなりラウンドをはじめた。 ジャカルタには長期出張で、計半年ぐらいいたが、週に一度か二度かのラウンドだった。 朝露の降りた高原でのプレーは、それなりにすがすがしいものがある。 それになにしろ、東京などと違い、寮や社宅からせいぜい30分のアクセスである。 それにもちろん、料金も安い。 ゴルフ場にはキャディー希望の少年達が一杯待っていて、我先にわれわれのキャディーを持とうとする。 ゴルフ場にある water hazard として池があるのだが、これは煉瓦色に近い泥色である。 ちなみに「ブンガワンソロ」という歌がある。 その日本語訳詞の一節にたしか「ブンガワンソロ(ソロ河) 清き流れ」という個所がある。 この歌は、インドネシアの民謡であるという誤解をされることが多いが、実はグサン・マルトハルトノと言う人が作曲していて、訳詞は「緒園涼子」三なる人である。 この人はこの他にも世界の名曲をいろいろ訳詞しているのだが、どの程度、原詩に忠実な訳詞なのだろうか? 昔の訳詞なんて、失礼ながら、適当なものであったのではないか?と思うところがある。 原語の原詩と比較検討する人も少なかった時代なのだから。 以前、NHKのフランス語講座を見ていたら、講師があるシャンソンの日本語訳を例にとって、「リアルで哲学的な原詩が、演歌調・情緒的な内容の訳詞になっているが、これは訳詞と言えるのか?」と怒っていた。 長くなったが・・・、私はソロ河を実際に見てきたのだが、日本の壁土のような色の泥水が流れていて、透明度ゼロに近い。 なにが「清き流れ」なのか? また寄り道してしまったが、ジャワ島やスマトラ島の河は、土壌の関係でみんな泥色である。 ゴルフ場の池も泥色である。 この池に打ち込んだら、ボールがもどってくるはずが無い・・・と思うだろうが、ほとんどがもどってくるのだ。 池の周辺で待ちかまえている土地の少年が、「池ボチャ」のボールが出ると、先を争って池に飛び込み、驚いたことにこのボールを回収して、ミスショットをしたゴルファーに差し出す。 ゴルファーは、そこでなにがしかのチップをこの「water boys」達に与え、ここに一種の win win situation がなりたつのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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