カテゴリ:J【日本】での想い出
旅行に先立って,カメラを用意していたら,カメラにまつわる思い出について、急に書きたくなった
恥多き昔話を記録にとどめておこう 余生も短いのだから(笑) ---- 私は、幼年時代からカメラにはなじんでいた 小学校の遠足などには父親のカメラ、あの時代には写真機と言った方がいいかな?を携行して、それなりに写真を撮った 当時は露出計で露出を測ったり,こどもなりに、だいたいのカンで露出を決めただけなのだが,昔のカメラと印画紙でも、ほとんど失敗はしなかったものである これは、別に私だけでなくて、クラスの女生徒達でさえ、皆カメラを持ってきてちゃんと撮影していた 同級生達は、私をのぞいて(笑)、みな、裕福な家庭の子女だったので、カメラぐらいはあたりまえだった しかし、フィルムカメラで、天候は、晴天・曇り・・・ぐらいの区別でやっていたのだから、大した事ではないかも知れない それでも、なんとか写真は撮れた 私のカメラは父の持ち物で、普通の35ミリレンジファインダーカメラだったが、当時は二眼レフという,今ではもう、ほとんど見られない旧式のカメラも流行っていた 一番初めて触って、遠足などの持って行ったのは、父親のミノルタ製の蛇腹沈胴式のものだった しかし私は、特にカメラが趣味という訳でもなかった 思い出してみると、高校にカメラ部というものがあったが,正直言って,写真を撮るということには、てんで興味がなかった だから、商社に入社して、ヴィエトナムに駐在していた時にも,自分ではほとんど写真を撮らなかった 街頭に立っているポラロイドカメラを持ったカメラ屋にデート中の女性との2ショットを撮ってもらうのがせいぜいというところだったのだ 考えてみると,せっかくの貴重な記録のチャンスを逃がしてしまったものだと思う ---- そんな私が,社会人になってから、ある女性と知り合ってからカメラが趣味になった その女性はアメリカ人の若い女性で,その彼女の父親が有名なプロのカメラマンだったので、彼女もカメラが趣味だったのだ ある時ある機会で彼女と知り合って、その翌日、彼女が書いてくれた地図にあった彼女のアパートを訪問した そこは、井の頭線のある駅からすぐの場所にある一軒家を上下別々に貸している木造アパートだった その時何をお互いに会話したかはよく覚えていないが、一つ思い出すことがある 彼女は、自分が撮った写真などを壁にピンで留めていたが、その中に、米国の友人が写っている写真があって、その写真にその友人がこういうことをペンで書き添えてあった 「ディア 君は、あの魚を生で食べる国に行ってしまうんだね」 「魚を生で食べる国とは何だ!」と反感を感じたコメントだったが、アメリカで寿司がブームになるのはずっとその後だから、その当時のアメリカ人の感覚などそんなものだっただろう 私は、その夜、なりゆきで彼女のアパートに泊まったような気がする その日から、私は、独身寮に帰らず、彼女のアパートに棲息(笑)してしまった どうしてそんなに簡単に、そうなったのか? 自分でもよくわからない お互い、最初からとても気が合ったから、ああいうことになってしまったと思うのだが 「青春は不可解なり」(笑) ---- 当時の私の所属部所属課には、同期入社のものがふたりいたが、その内の慶応出身の男がとてもだらしない男だった どう「だらしない」かというと、学生時代から、ある女性と同棲していたのである 彼と私は、独身寮でも同室だったのだが、そういう事情で、彼は、ほとんど独身寮に帰ってこなかった 学生時代から同棲していたこと、入社してからもそのまま同棲していたこと、それなのに結婚する意思は無さそうなのに、そのまま同棲を続けていたこと それらがみな、私には、許し難い!(うらやましい)(笑)と思えた どうもそのだらしなさの原因は、出身大学が慶応と言うところにヒントがあった(笑) 我々、都の西北早稲田の輩は、六大学野球の早慶戦を応援する時には、慶応の校歌の歌詞をパロって 「陸の王者・慶応」という部分を 「三田の色魔・慶応」と歌ってあざけっていた(つもり) それに 「さえぎるる雲 無きを~」というところを 「さえぎる膜 無きを~」と歌った 膜って、何の膜だ?(笑) それに「色魔」なんて、あざける前に、なってみたいではないか?(笑) あざけるといいつつ、うらやましかったのである ※ ちなみに、大学内の学部別対抗スポーツ大会では 「理工学部」を「利口で無い無い 利口で無い」 とあざけった(理工の方が偏差値はずっと高いのだが)(笑) やはり六大学の応援で、立教以外の大学の応援団が立教の校歌(セント・ポール)の歌詞を変えて 「利口で無い無い 利口で無い」と歌ったのだが この「利口」は「立教」にかけているのである 長嶋茂雄・みのもんた・関口宏・報道ステーションのくいだおれ太郎 みな、「利口大学」卒である(笑) 長島を最初に持って来るところに、私の悪意がくみ取れると思う(笑) そういうトリビア?は、さておいて こ~ゆ~風に、慶応をバカにしたつもりでも 実は、女性にもてる慶応がうらやましくてたまらないのが早大生である なにしろ「色魔」を「遮る膜はない」のである(笑) ただ、当時でも「昔慶応 今早稲田」と言って(笑)、早稲田の学生の顔面偏差値は昔と違って、高くなっていたのだが(私がその代表格だが)(笑)、どうも、大学の「バンカラ」という旧来のイメージというものが邪魔するのである 彼は小柄だが、私は長身である 顔面偏差値も、こちらの方が高い(笑) それなのに、実に悔しい(笑) 3人同期のもう一人の同期の男は、東大卒で実家からの自宅通勤だから、同棲というような大罪を犯すことはなかった(笑) ただ、彼が十分に女好きであることは、入社後、すぐにわかったことではあるが(笑) そう言えば思い出したが、私の学生時代の友人の一人も、学生時代から実に可愛い早稲田の女学生と同棲していた 私は、以前、「神田川という曲は私の学生時代の雰囲気を良くえがいている」と言うようなテーマで、このけしからん友人のことも暴いたが(笑) 彼は、「神田川」と同じような同棲を、本当に神田川に沿った木造アパートで送っていた これも、今思い出しても悔しい どうも、悔しいことだらけである(笑) 学生時代に、ちょうと「同棲時代」という漫画が流行って、映画化もされたが、それまでは、同棲するなんて、なんて、ふしだらなことなんだ!と思っていた私である (今でも少しは思っているが)(笑) (ただ、黒木メイサのできちゃった婚よりはましである)(笑) その、私が、さげすみ、怒り、ねたんだ同棲と言う大罪を、後には、私自身が犯してしまった この「犯す」という表現さえ、淫らである(笑) ---- 私は、ほとんど女性経験もないままに(笑)入社後、海外勤務を経て、日本に帰国したので、海外でのかりそめの、いつわりの(笑)関係をのぞいて、ガールフレンドというものを、それまで持ったことがなかった ただ、同室(留守ばかりだったが)の同期の男の同棲をうらやましく思うばかりの「うぶ」な私(笑)だったのだが、世の中はわからないもので、こういう形で、思いがけなく、「新世界」(笑)が開けたのである なお、私が、そのアメリカ人の女性に近づいた目的は、月並みだが、彼女が大学剃るのインテリと知って、英会話を教えてもらおうと言う、ぼんやりした、ありきたりなものだったが、いざ一緒に暮らしてみると、意外にも、「無料」の英会話の授業の機会はあまり無かった(笑) と言うのも、彼女が、日本企業に勤めていて、日本語は、ほぼペラペラだったので、ついつい、日本語で会話してしまうのである なかなか「無料の授業」を実現するのは難しいものである(笑) ―――― 続く ―――― お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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