カテゴリ:J【日本】での想い出
気恥ずかしいシリーズだが、書きかけたからには、完了させなければ
もう、私小説家の覚悟である(笑) しかし、これは、私の墓標だから(笑) 私は旅行が好きだったし,彼女もそうだった ただ、私はそのころ仕事が忙しかったので,一人ではなかなか国内旅行になど行こうという気持ちにはならなかったのだが,彼女の方は、せっかく日本に来ている事だし、それに彼女の外国人ネットワークで,あそこに旅行すると面白いという様な情報を入手してきては、私を旅行に誘うのである だから、もし私がひとりなら、行かなかった様な、いろいろなところを旅行したものである 信州・八丈島・それに東京都内の隠れた面白い場所など 彼女はアサヒ・ペンタックスという、当時、カメラ好きの人間に一番人気があったカメラを持っていて、私と一緒に旅行に行った時など、実に楽しそうに撮影をしていたのである それを見て,私も急にカメラが欲しくなり、ニコンを買った 私の後輩にカメラが趣味という男がいて、入社以前にニコンFを持っていた 私は、その男性的なフォルムにひかれた それだけでなく、彼女にも、おそろいと言う事でニコンを買ってしまった ある旅行をしていたら、民宿で一緒になった人が、プロ・カメラマンだった ちょうど、私も知っているある旅雑誌の取材をしているところだった 「ちょうどいい」と言うことで、私たちは、彼のモデルにされてしまった その雑誌に、我々の写真が掲載されたはずである 彼のレンズ構成は 28ミリ広角・50ミリ標準・135ミリ望遠 と言う、当時としては標準的なものだった 私は、それに倣って(少しモディファイして) 28ミリ広角・50ミリ標準・55ミリマクロ・80-200ミリ望遠ズームという構成にした それからは、カメラが面白くなって、彼女との個人的旅行や会社の同僚との個人的な撮影旅行や、海外出張にも携行するようになった と言っても、特に、カメラに腕があるわけでもない 当時の月間カメラ雑誌、アサヒカメラ・カメラ毎日(今は廃刊)・日本カメラなどにのっている写真をイメージして撮影してみる程度である ただ、「私にも撮れます」という実感がうれしかった 今思えば、撮影が難しいデジタル一眼レフカメラと違い、昔のフィルム一眼レフは、易しかった シャッターさえ押せば、なんとか写っていた(笑) ---- 彼女とのつきあいは、私に取って個人的にも影響があった 当時は、ベトナム戦争たけなわで、米国に反体制・ヒッピー文化が花咲いた時代である 彼女と、その外国人(ほぼアメリカ人だが)コミュニティーも、なにがしら、その風潮に影響を受けていた その影響で、当時の私も、ややヒッピー的だったかも知れない まあ、日本の社会全体にもそういう風潮はあった 私の彼女との生活については、私が明かさなかったので会社には知れなかったが、生活態度(笑)や価値観にヒッピー的なものが表れていたらしく「ヒッピー商社マン」と私を呼ぶものもいた(笑) もう1人、ヒッピー的なヤツがいて、大学の後輩で親友だったが、インド駐在から帰ると、インドの服装そのままという豪快な所を見せた(笑) 彼とはよく「我々は遊牧民族だ 他の奴等は農耕民族」とあざけって(私はこれが得意)(笑)、社内では浮いていただろう ---- と言うわけで、当時の私は、昼間は日本人の同僚と、放課後は(笑)外国人と一緒という、文化的な二重生活であった これは、私自身も、今はじめて気がついたことで、考えて見ると、私は、変な世界にいたものだ と言うか、そういう世界は、ある意味、いまだに続いているが ただ、私自身は、まったく、そういう生活に違和感を持っていなかった 外国駐在で、私自身、いつも異邦人という感覚だったが、その延長線上を望んだのかも知れない 私が、結婚する以前に付き合った、はっきりと「ガールフレンド」と言える女性は、合計(笑)2人だけである たったの2人・・・である 皆さんの予想より少ないと思うが(笑) 第一、普通の人よりもずっと少ない(笑) だだ、この2人共にアメリカ人というところは、変わっているかも知れない ---- どうして、ほとんど外国人の女性としか付き合わなかったのか? 今、自己分析してみるが・・・ もともと、生まれ育った場所の環境から、白人女性に魅力を感じていたことが、少し影響していたかも知れない 今は反省して、更生して(笑)、黄色人種の女性、黒人の女性(ただし混血タイプ)に、大いに魅力を感じているが その他に、これが重要だが(笑)、日本人女性と付き合うと、遅かれ早かれ、結婚というものに、真剣に(笑)対峙しなければならない 私は、元来真面目なので(笑)、つきあい出すか出さないうちに、 「もしこの女性に求婚されたら、またはつきあいの末に結婚することになったら、それでいいのか?」 と言う、疑問や不安が、黒い雲のようにわき出したのである 私に取って、結婚などと言う、重大な恐ろしい決断など、出来るわけがなかった これは、学生時代からすでにその兆候があって(笑)これは、一種の、生真面目な、神経症だと、自分では(笑)、考えるのだが その点、外国人女性がガールフレンドである世界は、自由である(笑) 彼女たちは、結婚を前提としてはいないのだから、ノビノビとおつきあいが出来る (これが、結局は間違いであることに私は、後ほど気づいたのだが)(笑) それに、彼女たちは、異邦人であって(笑)、当時、私の嫌いだった日本の精神風土とは別の世界にいた だから、会社から帰って彼らの世界にひとたび浸れば、会社での仕事上の悩みや、成績の悩みや(笑)、そういう現実世界を、完全に忘れ去れる利点があった こう考えてみると、私は、どこか、現実生活から、逃げというか、逃避の姿勢があったようである 外国人女性(男性は含まない)笑)が好きというのも、外国が好きというのも、旅行が好きというのも、エキゾティックな僻地が好きというのも、冒険好きと言うよりは、考えようによれば、 一種の現実からの逃避かも知れない まあ、現実逃避を一切しない人間は、いないとは思うが(笑) もひとつ 当時の商社は、激務であった 商社というものは、人間が資産なので、工場設備なので、社員が働くか否かがポイントである だんだん、時代と共に、改善はされたが、新入社員のころは、ほぼ毎日残業で、それも、9時・10時までというのもざらであった 帰宅するとぐったりして、休日もグダグダと寝ている事が多かった だから、まともなガールフレンドと付き合う時間が無かった(笑) 事実、毎日毎晩、残業の鬼だった先輩が婚約するというニュースを聞いて、あの人はいつデートする時間があったのだろう?といぶかったものである(笑) ---- さらに、最後に 私は、女性に限らず、日本人とのつきあいが、全般に少ない いまだに、あまり無い ただし、ネット上では、さすがに(笑)、おつきあいは日本人である もちろん、会社の同僚とは一緒だったが、彼らは商社マンである 商社マンは外国経験・異文化体験を経てきているから、一般の人とは少し違う ---- 日本女性とおつきあいをしていると、どうも、居心地が悪い いや、良すぎて悪いのかも知れない お互い日本人という、世界的にはかなり特殊な人間である 非常にホモジーニアス(同質性が強い) 以心伝心の世界を持つ つまり、「日本人ならナニナニして当然」という、規範性・規律性の強い文化の中で生きている だから、私の考えていることは相手もわかるし、相手が考えていることは私にもわかる わかりすぎるのだ だから、お互い、安心しながら、しかし、気を遣う 言いたいことも、あまり言わない 案外、自由のない、窮屈な世界なのである それに比べて、外国人は・・・ もちろん、メチャメチャに違うと言うことはない 同じ人間なのだから しかし、「お互いは違っても当然」という、お互いの基本的な了解がある 異質性が前提にある それが、私には、楽なのである ---- 私が、このブログで自説を書くと、「alex99は偏屈で(それは正しいが)(笑)、わざと人と違った考えを披露する」という事を書く人が多い(笑) しかし、それは誤解だ(笑) 私は、わざと、人と違った考え方をして、人と違った意見を書くのではない もともと私は、そういう人間なのだ それに、私の母が外国文化好きだったし、ガールフレンドも先妻も外国人だったし、職業も商社だったし、外国経験も長いし そういう環境があった しかしやはり、私が嫌いなのは「他人と同じ」と言うことである(笑) あたかも自分の存在価値がないように感じる ただし、そんな私だが、服装だけは、おとなしい カジュアルな服装は、アメリカンカジュアルだと思う ちょっとかしこまる場合は、結果的に英国風(と言うほどでもないが) 極めて普通の服装である 尖ったセンスの服装はしない そういう欲求もない 私に取って、服装は表現の手段ではなく、環境に合わせるものである 服装は制服である そう思っている なぜそうなのか?は、よくわからない たぶん、一目で、外見では、判断されたくないのだと思う 中身に過信を持っているのかも知れない(笑) だから、変わった、派手な服装をしている人を見ると、思わず、軽蔑に近い感情を抱くことが多い ---- 彼女のアパートの二階には、やはり、アメリカ人が住んでいた 中年の独身男性で、彼には、半同棲の若い日本人の学生の愛人(笑)がいた つまり、彼らはゲイであった 彼女とゲイの彼とは、アメリカ人同士だし仲のいい友人である 私も、当然のように、二階の2人(笑)と違和感なく友人になった 一緒に食事を作って食べたり、飲んだり、良く行き来をしていた こ~ゆ~生活は、会社には、決して報告してはならないものである(笑) 日本の会社では、こういう人間は要注意とされる しかし、結局、誰も知らなかったと思う ただ、独身寮に帰らなくなった事は、ふだんは全く意識していなかったのだが、一応、独身寮に籍を置いているので、たまに帰ると(笑)、多少きまりの悪い思いをした 通勤電車で寮の住人と出会うと、最悪である 潜在意識に於いて、罪の意識はあったのである(笑) ときどき、1人でこっそりと暗い寮に帰って、住人達に冷たい視線を浴びる悪夢を見る(笑) ただ、たまに、会社から早く帰宅(笑)すると、自由でうれしかった まだ日が長い夏の夕方など、彼女が帰宅するまでの時間、アパートの隣にあるスナックのマスターとキャッチボールをしたりした さらに隣の別のスナックで、ママに、その店の常連の女性(美人であった)とのつきあいを強く勧められて、困った(笑) みな、私の彼女との生活は知らないのである いろいろ、思い出すものである(笑) ---- 彼女は、2年後?、だったかな?に、米国の大学院に進学することになって帰国した 彼女の父親がそこの出身で、どうしても進学して欲しいと、彼女に懇願してきた 彼女は、実は私と結婚したかったのだが(後に再会した時にも、そう語った)、私も、それは感じていたのだが、例によって、結婚恐怖症だったし、中東のビジネスに携わるようになって、海外出張の頻度と長さがどんどん増してきて、日本を留守にすることが多くなり、彼女との生活が少なくなっていた 彼女が東北地方に旅行してから東南アジア経由(観光)で米国に帰る時、銀座で一緒にすき焼きを食べて、上野駅で列車の彼女を見送った 列車の最後尾の赤いテールランプが遠ざかる場面を、今でも覚えている お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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