カテゴリ:J【日本】での想い出
今日の名言
昨日から 「今日の俳句」 というものをはじめた 当分、続けて行こうと思う ただし、俳句だけでは爺臭いので(笑) 今日は、 「今日の名言」 ● 今から一年も経てば、私の現在の悩みなど、おそらくくだらないものに見えるだろう サミュエル・ジョンソン ジョンソンさんは、THE ENGLISH DICTIONARY を編纂した偉人である たしか、英国留学中の夏目漱石が一時、師事したんじゃなかったかな? つまり、時間薬と言うことだな 確かにそうだ これほど効く薬はない しかし、忘れると言えば 「忘却とは忘れ去ることなり」 「君の名は」の中のナレーションだが、どう言う意味だ?(笑) 昔はこれでもよかったんだ(笑) おかしいと思って「ヤフー知恵袋」をのぞいたら、こう言う回答があって納得した ---- この言葉には続きがあります。「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」です。菊田一夫原作のラジオドラマは、その放送時間に<銭湯を空にした>として有名です。 主人公の春樹と真知子が、互いに愛し合いながら、すれ違ってなかなか会えない。忘れてしまったらどんなに心が軽くなるだろう。だけど忘れられない--という二人の心を詠んだものです。毎回、放送の冒頭で朗読されました。 ---- 君の名は、で主人公の雨宮なんとかとヒロインのなんとか、が再会を約して分かれるのは,数寄屋橋だ しかし、川が埋め立てられて,今は橋も無い 私が、大学に入学した頃、たしか、かろうじて、橋の跡だけが数寄屋橋ショッピングセンターのところに残っていたはずだ それに、あの辺には,営団地下鉄の「西銀座駅」があった この駅は変な駅で,すぐ消えてしまった いや、駅名が変わっただけかな? 有楽町前かな? 私のカラオケで御世話になっているフランク永井が「西銀座駅前」という題名で歌っている しかし、同時に,あの名曲「有楽町で逢いましょう」も歌っている 後者の方が先に作曲されたはずだから、西銀座駅が駅名を有楽町に変えただけ・・・と言う私の当てずっぽうは、恐らく間違いだ やっぱり、忘却とは忘れ去る事なり(笑) ---- ところで、この「君の名は」は、盗作に近い ロンドンのウォータールー橋を舞台にした、踊り子のヴィヴィアン・リーと美男将校のロバート・テイラーの第二次大戦中の悲恋を下敷きにしたものだ 「君の名は」は、大東亜戦争敗戦寸前の東京 女性は、こういうメロドアラマが好きである(笑) 私は、ヴィヴィアン・リーは、アイリッシュの血統だが、どこかエキゾチックなところがあると思っていたら,伝記を読むと,インドの血が混じっている 自分も人妻なのに,既婚者のローレンス・オリビエとダブル不倫して結婚 だが、後に精神のバランスを失って、ニンフォマニアになる 食事を共にしたばかりの客人の男性とする平気で関係するなど いいな~(コレコレ) なお「ニンフォマニア」って、ATOKでも変換できない 恐らくATOKのソフト担当者はニンフォなのだろう(笑) ---- ロックバンド・クィーンのヴォーカル、フレディー・マーキュリーも、どこか、エキゾチックだと思っていたら、やっぱり ペルシャ系インド人でゾロアスター教徒で、ゲイなのだ ゲイは余計か ボンベイ(今のムンバイ)の支店長社宅から見ると、ゾロアスター教徒が鳥葬をする「鳥の塔」という原発の排気筒の様な巨大なものが天空高くそびえていて、鷲なのか?その塔の上空を数羽が円を描いて飛んでいた おそらく、死体が運び込まれて,鷲が食べやすいように粉々に砕かれて,鷲の正餐にまっていたのだろう インドでは、ペルシャ系インド人はペルシャ人を意味する「ペルシー」と呼ばれ、数としては少ないが非常に裕福な層に属する人や政治的な影響力をもった人々の割合が多い。 英国が英国的統治の方法の分割統治として、ペルシーを東インド会社に雇用したり、インド人と英国人の昼間の位置に置いたのが,ペルシーの地位を高めた フランス当時時代の旧インドシナ(ヴィエトナム・カンボジア・ラオス)では、ヴィエトナム人がフランス人に重用されたと同じ事 カンボジア人とラオス人は,いまだにヴィエトナム人を恐れ、頭が上がらない ヴィエトナムには カンボジア人3人でヴィエトナム人1人に対抗出来る ラオス人3人で,カンボジア人ひとりに対抗出来る ということわざがある これら、3民族の立ち位置を良く表した言葉だと思う 私は,ラオス人は知らないが ヴィエトナムにいた時、カンボジア人(クメール人)の女性を見かけた 身体は、華奢なヴィエトナム人とちがって、ガッチリした体格だがおとなしい 活動的でおしゃべりで目から鼻に抜けるヴィエトナムの女とは正反対である 昨日テレビで見た、世界中を旅した旅行大好き女性によると、一番おとなしくて優しいのはラオス人だという むべなるかな・・・である ラオス語って,タイ語の田舎弁みたいなものらしい サイゴンにいた頃、米軍が作成したらしい、ソノシート(懐かしいだろう?)(笑)で作った初歩ヴィエトナム語・カンボジア後・ラオス語・タイ語を持っていたんだが 覚えるつもりで 今は,家の中のどこにあるかな? 忘却とは忘れ去る事なり(笑) チョイヨ~イ!(ヴェトナム語の片言を思い出した) ―――― ウィキペディア ―――― ウィキから「君の名は」 ---- あらすじ [編集] 第二次大戦、東京大空襲[1]の夜。焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って戦火の中を逃げ惑ううちに、命辛々銀座・数寄屋橋までたどり着く。一夜が明けて二人はここでようやくお互いの無事を確認する。名を名乗らないまま、お互いに生きていたら半年後、それがだめならまた半年後にこの橋で会おうと約束し、そのまま別れる。やがて、2人は運命の渦に巻き込まれ、お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会がかなわず、やっと会えた頃には真知子はすでに人妻となっていた。しかし、夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、2人をめぐる人々の間で、運命はさらなる展開を迎えていく。 特徴 [編集] 真知子と春樹が再会しそうになる(半年ごとの数寄屋橋での待ち合わせなど)が、不都合が起きて会えない。この「会えそうで会えない」という事態が何度も繰り返された。後のドラマでもよく見られる描写(演出)である。本作は、このパターンの典型にして古典となっている。 脚本家・菊田一夫の代表作。1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得した。「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」といわれるほどであったという(ただし、この銭湯でのエピソードは、「アメリカでの事実[2]を基にして、松竹の宣伝部が作った虚構である」という説も根強い[3])。 松竹で映画化された際は、主人公のショールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれ、女性の間で流行した。これは、北海道での撮影の合間、主演の岸惠子があまりの寒さにショールを肩からぐるりと一周させ、耳や頭をくるんでいたことによる。この姿はカメラが回っている時にも使われることになり、「真知子巻き」が誕生した。またガラス越しのキスも流行した。 NHKラジオ連続放送劇 [編集] 番組の冒頭で「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という来宮良子のナレーションが流れる。音楽は古関裕而で、伴奏のハモンドオルガンも自ら演奏した。当時のラジオドラマは生放送だったため、劇中のBGMも古関裕而が毎回即興で演奏していた。 キャスト 後宮春樹:北沢彪 氏家真知子:阿里道子 他に古川緑波、七尾伶子など 主題歌 「君の名は」 作詞:菊田一夫 作曲:古関裕而 歌:高柳ニ葉(放送版) 販売用のレコードは織井茂子によって吹き込まれている。 君の名は 監督 大庭秀雄 脚本 柳井隆雄 原作 菊田一夫 音楽 古関裕而 撮影 斎藤毅 編集 杉原よ志 製作会社 松竹 公開 1953年9月15日 上映時間 127分 全3部。通しで上映すると6時間を超えることから、総集編(再編集版)もある。 監督: 大庭秀雄 製作: 1953年 - 1954年 キャスト 氏家真知子:岸惠子 後宮春樹:佐田啓二 綾:淡島千景 悠起枝:月丘夢路 加瀬田修造:笠智衆 浜口勝則:川喜多雄二 浜口徳枝:市川春代 勘次:市川小太夫 信枝:望月優子 梢:小林トシ子 あさ:野添ひとみ 水沢謙吾:須賀不二男 水沢奈美:淡路恵子 横山:三井弘次 副島渡:大坂志郎 ユミ:北原三枝 柳永次郎他 撮影地: 北海道美幌町・弟子屈町、三重県志摩市(大王町、志摩町)・長崎県雲仙温泉、新潟県佐渡市他 主題歌・挿入歌 「君の名は」(歌:織井茂子) 「黒百合の歌」(歌:織井茂子) 「忘れ得ぬ人」(歌:伊藤久男) 「数寄屋橋エレジー」(歌:伊藤久男) 「君は遥かな」(歌:佐田啓二、織井茂子) 「綾の歌」(歌:淡島千景) ほか 「君の名は」に関する歌の作詞・作曲は、すべて菊田一夫・古関裕而のコンビによる。 ---- 阿里道子さんは、実に美声の声優さんだった 「えり子と共に」というしゃれたラジオドラマにも出演していた その挿入歌が「雪の降る街を」 ただ、この「雪の降る街を」 メインテーマは、ショパンのショパン幻想即興曲ヘ短調 Op.49の一部の有名な旋律の盗作でしょ?(笑) ---- 今日の俳句・名文句、が長くなってしまった(笑) 俳句が長歌になってしまった(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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