カテゴリ:L 【人生】【死生観】
河合隼雄の幸福論 よくお邪魔してコメントさせていただくモモンガさんのJ上記の記事への私のコメントである テーマは「河合隼雄の幸福論」 ―――― 私のコメント ―――― やはり、河合さんは深いですね ただ、私は 「幸福」という語感そのものが、甘い(笑)と思う 人間が、自分の人生に於いて「幸福」なんていう自己中心で甘ったれたものを 究極の目的として探すのはそもそも、間違い 放哉の句に 「咳をしても ひとり」 と言う句がありますが この透徹した意識は、世界観でもあり、自分自身を客観視している 言わば幽体離脱のような境地(笑) つまり、ブッダの悟りとも通じるのですが 多元的な物の見方を通じて、アミニズム的な愛情をもち 執着から自由になり、諦観からさらに悟りに至る そういう境地が、やはり、目指すべきもの そう思うんです 「幸せ」という境地は,自分だけ良ければいいと言う意識の裏返しでもある だから、幸福、と言う考え方は、どこか、浅ましいところがある 蜃気楼のように、つかもうとしたり、近づこうとするほど 遠ざかり、もどかしい(笑)煩悩のゲーム もともと、求める事が間違いなんだと思います 求めてはいけない 女と同じで,求めると逃げる(オイオイ) 前回申し上げた様に 自分の魂を深化させる、悟りを開こうとする これこそが精神性というものを持つ動物・人類が求めるべきものだと思います そういう意味では,私が普段、軽蔑している宗教(笑)というものの 精神性という側面の価値は認めなければならないし 認識と思考性と言う側面での哲学からも得るものがあるはず 勉強し直さなければ(笑) 毎度、偉そうに、すみません(笑) ―――― モモンガさんのレス ―――― alex99さん コメントありがとうございます。 確かに、「究極の目的」といわれると、思いつくのは、真・善・美などであって、 「幸福」ではないこと。 その理由の一つが、「自己中心」的という点にあるのかもしれませんね。 ―――― 私の意見 ―――― 相変わらず、クールで短いモモンガさんのレスである(笑) しかし,さすが、ポイントを抑えている 私から言わせれば,いわゆる幸福論なるものは 「究極の目的」が「個人の幸福」であると思い込んで書いたものだと思う そもそも、そこが、間違いであり、且つ、浅ましい(笑) 個人の幸福をその人がどう思おうが,目指そうが,知った事では無い 人それぞれ、生まれ育ちや現在の境遇 それに、価値観や思考法がちがうのだから それなのに、こういう、一応、高名な哲学者が 「個人の幸福」などを論じているのが笑止千万、どうでもいい事では無いか? ただ、これが、「人類全体の幸福」と風呂敷を拡げるとなると 詐欺師と宗教屋の出番となるが(笑) 詐欺師と宗教家 これは、私の偏見では、同義語である(笑)
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最終更新日
2016.08.22 19:26:01
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