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記事 東京のマスコミ生活を捨て、地方で暮らして思い知ったこと 2018/08/08 07:19 昨年春、大学卒業後に10年間勤めたマスコミを退職して、関西の製造業に転職しました。「転職」「脱東京」に踏み切った背景には家庭の事情があります。東京を去りたかったわけではなかったし、年収も2割下がりましたが、決断に誤りはなかった――。都落ちから約1年半経った今はそう感じています。 脱東京を後悔していない理由は、規則正しい生活リズムを手に入れたからです。陳腐に聞こえるでしょうが、これは大きい。 会社での仕事を終え、毎日午後7時には家に着くので、妻と3人の子どもとご飯を食べます。その後、子どもたちと風呂に入って学校や保育園での出来事を熱心に聞いてやり、寝かしつける前に絵本を読み聞かせます。自宅の本を読み過ぎたので、週末には図書館で上限の20冊まで借りるようになりました。子どもたちを寝かしつけて皿洗いを終えたら、晩酌しながら妻と話したり、レンタルビデオショップで借りたDVDを観たりします。 東京にいたころは午後9時に帰宅したら、妻に「どうしたの? 早いね!」と言われたものですが、今は午後8時に帰ってきても「あら、遅かったわね」。 かつては終電もしくはタクシー帰りが常でした。ゴールデンウイークのうち半分は出社していたため大型連休のありがたみを感じられず、大晦日に会社にいたことも何度かあります。今、PC画面をのぞき込んだ妻から「おかげで旅行に行けなかった話を書いて」と命令されたので、言われた通りの文言をタイプしときます。 「おかげで旅行にまったく行けなかった。おまけに旦那の実家に旦那抜きで何度も帰省した」 東京ではフルタイム勤務&ワンオペ3人育児で奮闘していた妻のために、週1日はベビーシッターさんに来てもらっていました。子どもたちはシッターのおばあさんになついて、一緒に過ごした時間は楽しい思い出のようです。ただ、当時かかっていたシッター代は、別途契約していた病児ベビーシッター代と合わせるとなかなかの額でした。 年収が落ちたと書きましたが、脱東京によって家賃を含めて生活費がずいぶん下がりました。 「田舎は怖い」と言う話では 私が手にした幸せは実に些細なものです。いわゆる「9時5時」の職場で働いてきた人には目新しさはありません。それでも、東京のマスコミや広告代理店の社員にはちょっとしたおとぎ話でしょう。かつて働いた職場でも「たまの早帰り」はできます。でも、今の私は「たまに遅くなる」のです。この半年で午後8時半過ぎまで会社にいたのは1度だけです。 ただ、業種を超えた転職だけが朝型シフトの原因ではありません。 私は大学入学の際に上京して以来培ってきた交友関係の大半を東京に置いてきました。 私も同じで、これは寂しい おかげで今は「仕事帰りの一杯」がほぼないです。 マスコミの世界では「社外の人と飲んで人脈を広げるのも仕事のうち」と考える風潮がありました。しかし、情報や人脈がそれほど価値を持たない仕事に就くと、人と会って飲むという行為の優先順位が落ちてしまいました。出勤時間が早いので遅くまで飲む気にならないのも確かですが……。 ●東京のマスコミ生活は「終わらない修学旅行」 最近、都会と田舎での価値観の違いにも気付くようになりました。現在の職場の人たちから感じるのは「仕事とは生活の糧である」という認識です。 もちろん「生きていくために働いている」という前提は、場所を問いません。ただし、かつての私や同僚たちは働くことを通じて「成長の実感」や「自己実現」という対価を得ていました(少なくともそう信じていた)。転職当初、同僚とこのあたりの考えが相容れずぶつかったことがあります。「手間はかかるけど、もっといいもの作ろう、おもしろいことをやろう」と話す私は完全に浮いていました。 マスコミには仕事を趣味のように捉える(もしくは趣味を持つ暇もないほど働く)人が多いです。私はこうした「修学旅行や学園祭のようなノリ」をどこかで客観視していました。最初は自分自身も確かのこのノリを楽しんでいたのですが、何度か体調を崩したり、結婚して子どもを授かったりしているうちについていけなくなりました。「東京のマスコミ」にいるという高揚感の魔法が切れてしまったのだと解釈しています。 脱東京を語るつもりが、脱マスコミの告白になってしまいましたが、地方に移住し、今の仕事や生活を手にしたことで、これまでとは視点が変わったことは確かです。
(文:G・S) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.08.19 11:48:28
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