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研究社 新和英中辞典での「自明」の英訳
自明の •obvious •【形式ばった表現】 self‐evident •【形式ばった表現】 axiomatic •【形式ばった表現】 self‐explanatory
•【形式ばった表現】 a self‐evident truth •a truism •【形式ばった表現】 an axiom 自明のことだが, 国民の福祉を顧みない政府は長くは存続し得ないだろう. It is self‐evident that a government which ignores the welfare of its people will not survive for long.
an axiomatic truth - 日本語WordNet 自明の知恵例文帳に追加 axiomatic wisdom - 日本語WordNet ▶自明 読み方:じめい
ライフサイエンス辞書での「自明」の英訳 ▶自明
self-evident * (aj) axiomatic * (aj) trivial *** (aj) 音声 音声 共起表現
種, 平凡, 公理, 些細 索引用語索引ランキング
日本語WordNet(英和)での「自明」の英訳 ▶自明
1 clear-cut, clear, clean-cut 感覚が明白で明瞭な (clear and distinct to the senses) as clear as a whistle 口笛のようにはっきりした
見られるか、気づかれることができる (capable of being seen or noticed) a discernible change in attitude 態度において識別できる変化 3 obvious 感覚によって容易に知覚される、または心によって理解される (easily perceived by the senses or grasped by the mind) obvious errors 明らかな間違い
証明または議論なしで明白な (evident without proof or argument) an axiomatic truth 自明の理
EDR日英対訳辞書での「自明」の英訳 ▶自明
self-evidence
日英固有名詞辞典での「自明」の英訳 ▶自明 英語 じみょう Jimyo
▶自明 obviousness
JMnedictでの「自明」の英訳 ▶自明 読み方 意味・英語表記 自明 じみょう 斎藤和英大辞典での「自明」の英訳 ▶自明
形容詞相当語句 Self-evident 用例 自明の理
該当件数 : 208件
自明な様子で例文帳に追加 in a self-evident manner - 日本語WordNet
axiomatic physics - 日本語WordNet
自明の組合せ例文帳に追加 Obvious combination - 特許庁
Non-obvious combination - 特許庁
Two and two make four. - 研究社 新英和中辞典
The fact is self-evident - 斎藤和英大辞典
The fact speaks for itself. - 斎藤和英大辞典 自明の殺人事件例文帳に追加 a prima facie case of murder - 日本語WordNet
self-evidence (日英対訳辞書) Self-evident (斎藤和英大辞典) 3 axiomatic (英和対訳) 4 obviousness (英和専門語辞典) 5 self‐explanatory (英和対訳) 6 triviality (JST科学技術用語日英対訳辞書) 7 non-obvious (英和対訳) 8 nontrivial (英和対訳) 9 nonobvious (英和専門語辞典) 10 criteria of nonobviousness (英和専門語辞典)
英→日 日→英 自救的動産差押え 自救行為 自敬 自敬寺 自斎 自方 自明 自明だ 自明でない解 自明な 自明なこと 自明な付値 自明な因子
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自明(じめい)とは、証明や説明、解説をしなくても、それ自体ではっきりしていると判断されること。ただし、必ず正しいことが保証されるものではない。[要出典] こういった問題においては、主観的視点(客体)という部分を含み、何が自明であり何が自明でないかは、個人の感覚によって差があるため、より客観的な記述が求められる場合に於いて、より厳密な定義を必要とする[要出典]。 目次 [非表示]
自明には、例えば、「見たまんま」であったりすることが挙げられる。言うなれば、「空や海が青く、雲が白いこと」や「地面が平たいこと」などが、こういった範疇にあるが、逆にそれらは、科学的に厳密にいうと正しくない。空や海が青く、雲が白いことは、光の性質中における、拡散など様々な条件があってのことで、地面=地球である以上は、数学的な概念としての「完全な平面」ではない。[要出典] 常識[編集] いわゆる常識などもこれにあたる。経験は、個人に内在する情報によって導かれる暗黙知の一種だが、これらは概ね、生活環境を同じくしている者にとっては、似通った経験が内在する。例を挙げれば、「煮えた湯に手を突っ込むと熱く、やけどをする」は、多くの人が経験しているため、幼児を除けば、煮えた湯に手を突っ込まないようにするのが当然である。しかし、先天的に痛覚を持たないものや、生まれてこの方煮える湯を見たことが無い者にとっては、「煮え滾る湯に手を入れないこと」は、自明のことでは無い。[要出典] 自明の理[編集] 「自明の理」という言葉がある。推論は論理学の範疇であるが、説明しなくても当然至極の結論として導き出されるものが「自明の理」である。 具体的な例を挙げると、「自動車の運転をしている際、前(進行方向)を見ていないと危険である」は、自動車の性質の上で、運転免許を持つ者には、説明の必要が無いくらい当然の理屈である。同時に、「運転中によそ見をすることは危険である」も同じく、自明の理であり、「運転中に携帯電話でメールの遣り取りをすることも危険な行為である」も、やはり説明する必要もないくらいに、当然至極の結論といえる。 自明と真[編集] しかしながら、自明であることは、それが真であることを保証するものではない。例えば、常識は文化に依存する。文化が異なれば判断は異なり得るが、このことは往々にして忘れられ、文化の異なる集団の対立の元となる。 科学の分野でもそうである。ガリレオ・ガリレイ以前には、重いものほど速く落ちるのは自明と考えられていた。実際に空気中ではこのことは往々にして間違いではない。したがって、これが物理法則ではないことを示すには多くの努力を要した。 また、数学では、ユークリッドは、いくつかの公準や公理の下に、その幾何学の大系を築いた。その際、彼はこれらを自明のものとして取り扱ったが、それが本当に自明であるかの判断を追求することから、非ユークリッド幾何学が発展した。現在では、公理や公準は、その理論を成立させるための仮説であると考えられる。[要出典]
移動先: 案内、 検索 アプリオリとは、経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念。カントおよび新カント学派の用法。ラテン語のa prioriに由来する。日本語では、「先験的」「先天的」「超越的」などと訳される。 目次 [非表示] 2 法学におけるアプリオリ 5 参考文献
カントにおける「アプリオリ」の概念[編集] 「わたしは何を知ることができるか」「わたしは何をなすべきか」を問い、自然や人間を認識する「理性」(理論理性)の限界を明らかにするために批判哲学を打ち立てた18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、哲学もまた数学や自然科学にならって、必然的で普遍的な思考方法を獲得しなければならないと主張した。そして、そのためには、人間のあらゆる経験から独立して、理性自身が認識のわく組みを決めることができなければならない、とした。これが「アプリオリな認識」である(アプリオリな認識のうち、経験的なものをまったく混入していない認識を「純粋認識」と呼ぶ[1]。 カントによれば、時間および空間はアプリオリな概念である。なぜならこの2つは、あらゆる経験的認識に先立って認識されている概念だからである[注釈 1]。 なお、この2つは自然に想像される時間あるいは空間ではなく、形式的なそれである。感覚的には太陽が地球を回っているように「感じられる」としても、実際にはそうではないという比喩をカント自身も援用していることから、ある新しい「構成」のために、それらは純粋直観にあたえられるのである[注釈 2]。この空間は、物理空間に先立つ(=アプリオリな)空間である。純粋直観が不可能であればヒューム的懐疑に陥るという懸念にも留意されたい。 諸哲学における用法[編集] 哲学における今日的な一般的用法としては、アプリオリとは、「演繹的証明の必要のない自明的な事柄」という意味で使われることが多い。 フレーゲによれば、命題の真偽が論理法則のみに依拠すれば「アプリオリ」であり、経験的事実に依拠すれば「アポステリオリ」となる。なお、ここでいう「命題」とは厳密には「ある判断の真理性の証明」を指している[2]。 フッサール現象学では、直観によるアプリオリの作用(抽象)を「本質直観」と呼んでいる[注釈 3]。 認識論において用いられる難解な言葉であり、アプリオリはアポステリオリの対語である。「先験的」「先天的」などと訳される場合があるが、どちらの訳もこの語の意味にあっていないと言われ、多くの場合「アプリオリ」とカタカナで書かれる。 アプリオリの具体的な意は、「私はこのことをアプリオリに知っている」は「私はこのことを知っているが、経験を通じて知ったのではない」と言うような具合である。アプリオリの意は非常に複雑であり、わかりにくいと言われる。 「物事には原因がある」という観念は、実際の経験事実よりも「先立って」存在している。つまり因果律は経験に先立っている(prior)から、「アプリオリ」な観念だといわれる。 法学におけるアプリオリ[編集] 法学上の文脈で用いる場合には、いわゆる「自明」ないしは「所与のもの」などの語義と同視して用いられることがあり、特に論証や立証なくして明らかな事項(明らかであるとして扱ってよい事項)、などの意として使われる。 確率におけるアプリオリ[編集] 事象が現れる前の確率をアプリオリ確率という。事象が現れた後の条件付き確率をアポステリオリ確率という[3]。 脚注[編集] [ヘルプ] 注釈[編集] 1.^ この2つが先立っていることが絶対的に自明なのではなく、カントが強調しているのは、この2つが与えられなければ、「物自体」が認識できない以上、純粋直観としては何も認識できないということである。 出典[編集] 1.^ 山崎編『カント』(1977)p.68 参考文献[編集] 関連項目[編集] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.12.04 12:44:43
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